2014年8月28日木曜日

人権擁護局研修



今日はサンホセから人権擁護局のフェデリコさんとオットーさんが来所され、モルフォと地元の障害者を対象に、人権擁護局とはどんなところでどんな仕事をしているかや障害者の人権についての研修がありました。

お二人は、今年2月にサンホセの障害者全国集会に3日間とも参加してくれた方です。オットーさんは脳性麻痺の障害を持っていて開会式で挨拶もされたので覚えている人も多いと思います。サンホセから昨日午後到着され、まず事務所を見学、その後ルイスとスサーナがモルフォの活動について説明しました。


































先日もコンセホとCOINDISの代表が来られてレクチャーをしましたが、ここのところサンホセからわざわざペレスセレドンまで来てモルフォを見学するケースが増えています。ちょっとしたモルフォ詣でのようになっているのですが、これも政権が代わって風向きが変わってきたことの例の一つであると言えるでしょう。色々なことがこの政権の4年間で可能であるような空気があって、逆にここを逃すともうしばらくないだろうなとも言えます。完全に正念場になってきました。

2014年8月26日火曜日

介助スタッフ制度


昨日は障害者、健常者スタッフ全員が集まる会議がありました。
まずルイスが会議の目的をみんなに説明しました。予算も厳しい中目的を達成するためには障害者も健常者も色々犠牲を払ってもらわないといけないこともある。とくに介助者には急に介助に入ったり年末年始家族と過ごす代わりに、障害者と一緒に帰省しないといけなかったりする。これは介助制度を獲得するまではどうしても必要なことなのでぜひみんな協力してほしいという内容でした。


つづいて、グスタボが日本で研修してきて学んだ、自立生活センターでの健常者の働き方を説明。メインストリーム協会で行っている。介助スタッフ〜アテンダントリーダー〜ふつうのアテンダントさんの違いを話しました。今日は介助者全員にぼくらと一緒にやっていけるかという「志」を問うことが目的の中心でした。一緒にやっていってくれる人はぜひ固定の介助者として一緒に働いてほしい、その他の人は、スポットで働いてもらって支えてほしいと話し、一通り説明した後介助者全員に意見を聞きました。

その結果、リオス、ホスエ、ハイロ、ホセ、アントニー、イサックの男性介助者は全員固定でやりたいと言ってくれました。女性ではカテリンとマリクルースがやりたいと言っていました。かなり前にグスタボが日本でやってるやり方を教えてほしいと言っていたのがこれなんだなと気づきましたが、直前まで昨日こんな会議をやるとは聞いていなくて、ちょっとびっくりしたのですが、なかなかやるなーと思って聞いていました。話の中では、最初の面接では、日曜祭日でもいつでも働けると言っていても、なかなか実際仕事が始まってみるとそこはちょっと無理と言われたり色々問題もあるような感じでした。



午後はこれから自立法を国会で通すために、これまで反対の立場だったPANAREという国立の障害者施設を説得するための対策をメンバー全員で検討かなり遅くまでやっていました。しっかり地に足の着いたいい団体になってきました。

2014年8月25日月曜日

エリエセルの自立生活


週末ずっと雨だったのですが、昨日日曜日は暖かくとてもいい天気になりました。
お昼にエリエセルにご飯に誘われたので行ってきました。


3月にペレスに引っ越して来た当初は、カルロスと同じ家に住んでシェアしていたのですが、色々問題があったようで翌月自分で小さなアパートを借りました。小さいけど快適と言っていました。

エリエセルが日本に行く前ジゼルがあらためて「この日をずっと待っていた」と言っていたのが印象的でした。それが帰国後も順調にこうしてモルフォのスタッフになって、こうして自立生活を送ることができています。



















今日の介助者はイサック。ツナのピラフとサラダをごちそうしてくれました。日本に行ってからもう一年経ったから始まって、 プロジェクトKaloieの頃石橋さんと山本さんが家まで来てくれたこと、事故に遭ったとき地元のクリニック→ゴルフィートの病院→サンホセのサンファンデディオス病院とその日のうちに運ばれたこと、その後サンホセのリハビリセンターで一月とちょっと過ごしたことなど色々話できました。

ボリビアでは、アルミンダに「私は2番目だった」ってエリエセルが1番人見知りが激しかったって言われてましたけど、日本に行く前に、しばらくモルフォで過ごして自立生活の考え方と介助の使い方を学んで、その後日本の研修。帰って来てからもちゃんと受け皿があって理想的な流れでここペレスセレドンでの生活に馴染んでいっていると思います。

いい休日でした。(いのうえたけし)

2014年8月22日金曜日

障害者自立法フォーラム2

水曜日の国会での「障害者自立法フォーラム」のビデオが国会のYoutubeにあがったので共有しておきます。昨日も書きましたが、ウェンディと、コンセホとCOINDISの代表名が並んでこの法案の必要性を説いているのはちょっと感動的ではあります。





PANAREという施設の代表者は昨日言っていたようなそれほど否定的な感じではないです。モルフォのメンバーをずっと応援してくれているモンテロ医師も意見を述べています。スペイン語の人たちはこれを教材に勉強してね。

2014年8月20日水曜日

障害者自立法フォーラム


昨夜はボリビア最後の夜で、フェリーサとガリと食事をして遅くホテルに帰還。1時間ほど寝て支度して空港へ向かいました。早朝の便だったので、サンホセに着いてもまだ10時前に時間です。ホテルに荷物だけ置いて国会に向かいました。今日は先日のオスカル・ロペス氏との会合でセッティングされた国会での障害者自立法フォーラムがあるのです。

残念ながらフォーラムそのものには間に合わなかったのですが、モルフォのメンバーはみんなまだ参加者たちとのコーヒーブレイク中でした。ルイスとウェンディにどうだったか聞いてみるとまあまあみたいな答えでした。


ぼくは、今日のこの会合は色んな意味でとてもよかったのではないかと思っています。それはまずフォーラムの内容が、ウェンディと並んでコンセホのフランシスコさんやCOINDISのマヌエルさんが話すようになっていて、自立法が障害者世界全体のニーズであるとうことが示せたことです。ただ最後に発言したPANAREという障害者施設の代表は予算に絡めて反対意見を述べていたそうです。

そして、もう一つモルフォのメンバーだけでなく、全国集会に参加してくれた人たちに広く声をかけて来てもらい、モルフォだけ言っているのではなく、広く全国的にこの法律は待たれているのだということを示せたことでした。














国会での仕事があったときにいつもよく帰りにご飯を食べて帰るレストランに今日も寄って帰ったのですが、テーブルをずらっと並べて各地からきた参加者がご飯を食べているのをみて、ああこれもやっと、モビミエント=運動になってきたなぁと思いました。国会でぼくらがいつでもこれくらいの人を動員できることを見せれたのはもの凄くよかったと思いました。

サンビトから来たメンバーはこのまま帰りにモルフォに寄って帰るので、さらに交流を深めることもできます。色々夢が膨らむ一日だったのではないかと思います。(いのうえたけし)

2014年8月19日火曜日

ボリビア出張編(9)JICAボリビア訪問


さて、いよいよボリビア最終日です。今回のボリビア訪問は、もともとフェリーサが日本での地域研修をもう一度復活させたいということで、その可能性を探るためにJICAに行くという話から始まりました。ここまでたどり着くのが長かったですけどやっと来ました。

こっちに来てからパターンがあって、待ち合わせをする→フェリーサたちが遅れる→ぼくはややゆっくり目に行くことにする→でもやっぱりぼくが先に着いてしまう、というのですが、昨夜は遅くまでカラオケに行っていてさらにその後ディスコテカに行って、そこがたまたま早くしまったので2時頃に解散でした。

明日は日本人だから10分前には着いとかないとねとか、11時のアポイントメントなのに、9時半にはホテルに迎えに行くからとか色々言っていて、さすがに今日は時間どおりに来るだろうなと思っていました。結局ぼくはホテルから別に行くことにしたのですが、JICAボリビア事務所は前回訪問した事務所から移転していて、セントロからやや離れた新しく造成されている新市街になっていました。それが朝の渋滞も重なって想像以上に時間がかかりぼくが到着したのが11時ジャスト、結局彼らが着いたのは10分ほど経ってからでした。ヘラルドが着くなり「何かコメントは?」って言ったんですが、ないですよ今さら(笑、

さて15分くらいして始まった会合ですが、対応してくれたのは山本所長といつもフェリーサたちを応援してくれているモニカさん。ポイントは以下のようになりました。
選択肢は3つある。
1)日本での地域研修の復活
2)コスタリカを絡めた第3国研修
3)ボリビア国内での研修

1)はまず一番難しいだろうということでした。6年間やった後の評価がどうだったかが問題になる。おそらく評価がよかったら引き続きやっていただろうというのが言外にあるように思いました。

2)可能性としてはこれが現実的だという所長のお話でした。プロセスとしては、コンセホがやっていたプロジェクトの普及を図るために研修をやりたいというのをまずコスタリカ側から要請を上げ、JICAがそれを企画する。モルフォのメンバーが研修の主体になって、日本から専門家を呼ぶことも可能。ラテンアメリカから広く参加者を集めることになる。

3)帰国研修員らが研修の成果を普及するという名目で、研修の主体になるボリビア国内に広めるのが主な目的だが、周辺の国から参加者を募集することも不可能ではない。これも日本からオブザーバーとしてメインストリームメンバーを呼ぶこともできる。今こつこつとフェリーサたちがやっている活動を、JICAの資金を使ってやることができることになるが、この制度は一度東京の本部にあげてそこで一括に選考されるので、当選する確率は低くなる。

ざっとこんな結果で、正直めちゃくちゃ新しい情報は少なかったかなとは思いました。それでも、帰国研修員4人が一度にこうしてラパスに集まるのは初めてらしく、JICAの方と顔合わせをしておいたり、意気込みを見せておけたのはよかったかなと思いました。近くのレストランで昼食をとりながら、とくにどれに絞るのではなくできるものは全部やったらいいのではないかという話をしました。















帰りはボリビアで初めてのリフト付きバスに乗ってセントロまで帰って来ました。ちょうど昼のラッシュにあたって、最初数台は当たり前に乗せてもらえないような状況でした。その後やっと乗れるかなと思ったら、やはりふつうにリフトが作動するものは皆無でした。アルミンダ、フェリーサ、ガリとそれぞれ分かれて乗ったのですが、乗務員が操作の仕方を知らなかったり、知っててもちゃんと動かなかったりでした。やはり物珍しいようで、操作に苦労しているとそのうち人だかりが出来て、みんな写真撮ってましたね。


これは車椅子専用を示すシールですがおもしろいのは、左がスペイン語、右がアイマラ語なんですね、ポトシでみんなが当たり前にケチュア語を話しているということを書きましたけれど、ここはアイマラ語圏なので、アイマラ語で表示がされています。バスに乗りながらフェリーサとヘラルドとそんな話をしながら帰っていました。それによれば、今は公務員になるにはスペイン語の他に、ケチュアやアイマラなど先住民の言葉ができるのが条件になっているそうで、フェリーサの4人の姉妹は下になるほどケチュア語を話せなくなっているらしいのですが、一番下の妹が医者で今になってケチュア語を覚えなくてはならなくなっているらしく、お母さんにケチュア語で話してって頼んでるということでした。

しかし、これだけ多くの人が先住民の言葉で話しているにもかかわらず、現在のエボ・モラレスが大統領になる以前はスペイン語以外の情報はまったくなかったらしく、障害者に対する政策も同じで、十分ではないがこの政権になって始めて障害者の政策というものができ、これは大きな事だとフェリーサは話していました。こうした色んな国の状況が分かってくるにつれこの国に対する興味がどんどん深まって来ました。この国はほんとに面白いです。






ボリビア出張編(8)ラパスでの活動方針


月曜日は午後3時からラパスのリッツィの事務所で、彼女が集めたメンバーを対象に自立生活運動についての話をしました。まっちゃんが作ったビデオを見せて、その後フェリーサが自立生活についてコンセプトを詳しく解説、アルミンダがヌエバエスペランサについて話をする、時間があれば勝也か畑くんのビデオを見てもらう、というのがだいたいパッケージになっているようです。この日はあまり時間がなかったので、ヌエバエスペランサについては省かれました。

参加者はガロさん、オスカルさん、パオラさんとそのお母さん、リッツィ、後からダニエルという車椅子の若者がやってきました。ダニエル以外は歩くことのできる障害者で、そのそのダニエルも家族のやる会社で働いているということで、ちょっとぼくらが対象としている障害者の層と微妙にずれているかなというのが最初の印象で、会議の中で色々議論してもどうもすっと落ちるような感じが掴めないまま時間が来た感じでした。

最後に、自立生活を進めていくならメンバーをもう少し集めて団体にして私に送ってくださいとフェリーサが言ったとき、オスカルさんとガロさんはちょっとイメージが違うとはっきり言っていたので、ここが自立生活センターとしてやっていくには、リッツィがもっとメンバーを集めてやらないといけないことになりました。













ぼくはボリビアに来て最初のブログで、先走ってここを「ラパスの新しい拠点」と書いちゃったのですが、(?)ってつけとくべきでしたね。

現在フェリーサの家族のラパスの家が誰も使っていないので、フェリーサはむしろここを拠点にゼロからメンバーを集めてやった方がいいと考えているようです。先日説明したような状況なので、フェリーサが当分スークレを離れることは難しく、ラパスでの展開はしばらく先に延びたような感じになっています。この間もフェリーサは「わたしの心はラパスにある」と言っていましたが、現実今すぐラパスの拠点でどうこうというのはないかなと思いました。それよりか今はしっかりスークレの地盤を固めて、今回のように仲間集めでラパスにいくというのが現在の与えられている条件では最善であるような気がします。

夜はみんなでアラブ料理の店に行って、この間の状況と今後の確認。ぼくは日本に帰って伝えないと行けないことなどを確認。後はカラオケでラパス最後の夜を楽しみました。

2014年8月18日月曜日

ボリビア出張編(7)善きサマリア人協会訪問


今回のボリビア訪問もだんだんと終わりに近づいて来ました。二週間の期間で来たのですが、これはフェリーサたちの予定が不確定だったため少し長めに設定しておいただけで、半分くらいぶらぶらしておこうかなって思っていたのですが、結果的にほとんど予定が一杯のスケジュールになって色々出来てよかったかなと思っています。

昨日朝ガリと一緒にポトシからラパスに到着してぼくはホテルにいったんチェックインして仮眠、研修生グループは今空き家になっているフェリーサのラパスの家で休んでいました。

午後からエルアルトという空港のあるラパスよりさらに標高の高いところにある町の団体を訪問するというので2時にロープウェイの駅で待ち合わせをしました。

久しぶりに研修生勢揃いの図
ぼくら日本人にとってロープウェイというと寂れた山の観光地の乗り物のようなイメージであまり新しい感覚は持っていないのですが、ここではラパスとエルアルとを結ぶ「新交通システム」といった感じで国をあげた事業になっています。今年の6月に開通したばかりで、日曜日ということもあって日常の足として使っているのではなく、見物しに来た人で行列も出来ていました。しかもこの乗り物はバリアフリーだということもあってフェリーサたちも楽しみにしていたようです。


このように、ぎっしり詰まった家が並ぶ上をすーと登っていくのはかなり盛りあがります。フェリーサにエルアルトにはロープウェイで行くって聞いたときには、あまりよくわかっていなくてふーんって聞いていてあまり期待もしていなかったのですが、これはラパス観光でもちょっとしたポイントになると思います。まだあまり知られていないのか外国人の人は少なかったです。















ロープウェイは途中に一駅あって終点がエルアルトになっています。10分くらい乗ってエルアルトに着くとAsociación Buen Samaritano(善きサマリア人協会)の代表ヘノロさんが出迎えてくれ会合場所へ。エルアルトは木曜日と日曜日に大きな市が出るということで会合場所まで10ブロックあったのですが、ずっと屋台が出て日用品から車の部品まであらゆるものが売られていました。

「お昼食べてないから何かつまんでいく」















善きサマリア人協会のメンバーは18人ほど。ヘノロさんの説明によると活動はあまり活発ではなく、月に一回ほど集まって、みんなで身の上話を聞いたり、政府や行政の新しい動きなどを情報交換しているとのことでした。事前にフェリーサから聞いていた武闘派が多いというのとちょっと違ったのであれ?って思って聞いていたのですが、ボリビアでは身体障害の運動自体があまりないのでラパスでは貴重な人材であるのですね。

会合ではまず、まっちゃんが作った南米に伝わった自立生活運動のビデオを見てもらって、フェリーサが自立生活について説明。その後アルミンダがヌエバエスペランサの活動について話をしました。


その後勝也のビデオを見てもらい、日本での自立生活を紹介。先日のスークレでの介助者面接のときには畑くんのビデオを紹介していて、コスタリカではもう日本のビデオを流す機会はなくなっているので、このへんがまだ発展途上なところかなと思って見ていました。

ポトシもここも民族色強し













アルミンダと一緒に映っているのはスークレから来たユリちゃん(Yuriちゃん、実際にはユとジュの間くらいの発音?先日の介助者研修で採用された介助者でこの前日が初仕事でいきなり一週間近いラパスツアーです。まだ18歳らしいですけど、アルミンダときゃっきゃいいながらけっこう馴染んでいるように見えました。つづいてくれるといいんですが。スークレでは新しくドイツ人のボランティア介助者も見つかったらしいので、朝は女の子2人体制ですね。















帰りは少しずつ市も閉まって行く中、コピーCDを売ってる店だけがガンガン音楽を流していました。にわかにみんなで一踊り。アルミンダと一緒に踊っているのがもし日本での研修が復活したらフェリーサが送り込みたい人の一人リカルドくんです。

先週スークレに入ってからほとんど毎日会議をやったり坂の多い町を車椅子を押したり降ろしたりで、けっこうへとへとではあるんですが、この日久しぶりに4人の研修生が集合して、何かよく分からないうちに、外国の中のまた外国みたいなところにいっしょに来て、自立生活のミニセミナーをやり、山の上で夜になって気温がどんどん下がっていく中、みんなでアホな話をしながらゲラゲラ笑ってまたラパスまで帰っていると、つくづく、ああ幸せだなーとめちゃくちゃ楽しいなと感じていました。

今日はこれから再びラパスのリッツィの事務所でラパスのグループと会議。明日はJICAに行って来ます。これですべての日程が終わりです。


2014年8月17日日曜日

ボリビア出張編(6)来年のポトシ全国集会のことなど


ポトシ2日目です。今夜にはもう夜行バスでラパスに戻らなくてはなりません。
2日目は、Divertadの執行部と全国集会の準備などについて話をしました。Divertadの執行部は現在、代表のガリとラパスの全国集会に来ていたサラと最近メンバーになったミゲルとで構成されています。選挙で一時はサラが代表になったこともあったらしいですが、現在はこのメンバーで落ち着いているようです。ガリはほんとにいい人物なのですが、時間にルーズなのは全員が口を合わせて文句を言うくらいなので相当ひどいんだろうと思います。スークレではサラがきっちりしているからいいって言われてました。まあそれでも、人格、熱意、様々な知識や、人に対する気配りなど見てもガリに代わる人はいないですね。執行部は、水曜日の午後に会議を持っているそうで、全体のメンバーの会議は月一回だそうです。それでもこの日も執行部以外に昨日来ていたアドルフォやクラウディアやカルラ、ルベンも参加していました。

さて、全国集会の準備ですが、まず口に出たのはこれはガリが今年の2月からずっと言っていることですけれど、いつもセミナーばかりなので、ウユニに行ったりしてみんなで楽しむことを入れたいということでした。なんですが、ガリ始めここのメンバーもウユニには行ったことがないらしく、行くなら泊まりがけになるので実現するのはけっこうむつかしいと思うのですがさてどうなるでしょう。

そして、全国的な運動が欠けているので、できれば中央の政府の人を誰か招待したいということでした。これは、フェリーサもずっと言っていることで、そのために早くスークレの仕事をアルミンダに譲って自分はラパスで仕事をするはずだったのですが、先日のブログで書いたようにアルミンダが大学の方で時間を取られて思ったように代替わりできていない状況です。


下の道までタクシーで来ても自力で門まであがれない


ぼくがこの間ラパスからスークレ、ポトシと回って来て、今は少し中央での交渉は遅れてもスークレでAbilisの自立生活プロジェクトに力を注いだ方がいいのではないかと思いました。口で説明するより、自立生活の実態を作ってそれを元に色々始めた方が効果的だと考えたからです。という事などガリに伝えました。

全国的な活動に関して、コスタリカのコンセホにあたるCONAPEDISはあまり実権がなく、障害者団体の全国連盟であるCOBOPEDISで政府にプレッシャーをかけた方が有効とのことでした。この連盟には先日、2月の全国集会にも参加してくれたコチャバンバのダビッドが代表になったので、そこから自立生活を進めていくこともできるそうですが、やはり全国組織の連盟なのでそればかりには行かないのが今のところらしいです。


今日初めてのパウリーナさん、スペイン語話せないのでケチュアの通訳























時期的には日本側は来年4月以降を考えていることを伝えました。できれば早く日程を確定してほしいのと4月はまだそれほど寒くないけれど、5月6月とどんどん寒くなってくると言っていました。場所はラパスの全国集会で使ったCasa de Retiros(引退者の家)がポトシにもあるのでそこが使えるらしいです。他にも同じような施設があるからそちらでもいいとのことでした。

みんな、責任も大きいのでたいへんそうとは思っていましたが、はりきって楽しそうにも見えました。ただミゲルはまだ障害者になって1年半くらいしか経っていない21歳の青年だし、サラは最近仕事を始めたこともあってあまり活動に時間が取れない状況です。ガリを支える人がもう少しいないと苦しいだろうなと感じました。
















朝から始めて昼過ぎに終了。みんなでご飯に。メンバー8人で介助者はぼくとクラウディアの姪っ子だけ。スークレもだけど健常者がなかなか関わってくれてないのが問題点の一つでしょうか。

タクシーを待つ。なんか楽しい。















女の人たちを先にタクシーに乗せて、残った男たちでぎゅうぎゅうになって乗っていきました。後部座席にルドルフォ、ガリ、ルベン、ぼくとつめつめで乗ってたんですが、「こいつはあんまり場所取らないからよかった」ってルベンのことを言っていたんですが、下半身が太ももからそっくりないんですね。ポトシは鉱山で有名で銀を産出していたので、500年前は世界で最も栄えた町だったそうです。今も昔ほど取れないものの産出はしていて、ルベンはそこで働いていた17歳の時に発破の爆発で下半身吹っ飛ばされたそうです。今は事務所のある施設に住んで大学で勉強しています。


町をやや外れたところに、ポトシの伝統的な料理を出す店が集まっている所があって、そこでぼくにポトシ料理をごちそうしてくれるということでした。一軒目では微妙に拒否られたのですが、二件目で無事入店。



色々頼んでくれたんですが、このKalapurkaというのが一番有名みたいです。トウモロコシの粉のスープに肉とか野菜が入っています。熱々に熱した石が入っているのでグツグツ言いながら出てきます。どれもおいしかったです。ごちそうさまでした。


この日でスークレ、ポトシの地方回りは終わり。ぼくらが行くときはだいたい全国集会があってその応援で行くのですが、毎日セミナーで日程が詰まって、みんな勉強しないといけないということで、やや緊張していたりもしたんだと思います。こうしてふだんの活動しているところに行くと、リラックスしてそこでの人間関係などがよく見えてきました。細かい話の中に色々情報も詰まっていて、なかなか有意義な訪問だったと思います。
ポトシでちょっとびっくりしたのは、ガリも含めて、みんな先住民の言葉ケチュアを話せることなんですね。地方に行くと学校もケチュアで教えるので町に出てこなければ、一生スペイン語を話さずに過ごすこともあるということでした。逆に、弁護士とか公証人とかは商売上客の話すケチュアを覚える必要があるとガリは言ってました。


午後9時出発の夜行バスに乗って、朝ラパス着。お疲れさまでした。ガリもおれも。


2014年8月16日土曜日

ボリビア出張編(5)Divertadポトシの自立生活運動訪問


さて、ポトシに来ました。最初に言っておきますがポトシきついです。一昨日夜スークレから着いたときは、言われていたほど寒くないし、息もそんなに苦しくないので、あれ?一週間ボリビアにいたからさすがに慣れた?とか思っていたのですが、夜中に気温はどんどん下がるし、昨日ガリの事務所に行こうと思ったら、行き違いで何度も事務所とセントロの往復していると完全にやられてしまいました。お昼ご飯食べてしばらくホテルで横にならないと動けないくらいでした。













ポトシは標高4000メートルの高度にあるだけでなく、町の中がほとんど坂になってるので、どこを歩いても高地トレーニングしているみたいにすぐにゼイゼイ息が切れてきます。しかも古い町特有の道の幅が狭く入り組んだ構造になっているので、車が通るので一杯のところが多いです。たとえバリアフリーになってもこれじゃ車椅子で生活するのはきついよなーと思いながら事務所に向かっていました。


Divertadは、最近までセントロに事務所を持っていたのですが、家賃の問題や入るのに段差があったことなどから現在はこのポトシで唯一の障害者施設の一室を借りています。毎日開けているわけではなく、現在は週一回水曜日に集まって会議をしているとのことでした。












事務所はこの小さな部屋で、昨日の会議はトップの写真のような別な部屋を使いました。ここは医師がいて、リハビリをやる施設があるのと、その他おもに知的障害者のための学校になっています。借りた部屋はそのうちの教室の一つです。その他障害者で奨学金をもらって勉強している人の寄宿舎にもなっていて、メンバーの一人ルベンはここに住んで大学に通っています。

ガリが不在のときに来て、ここの責任者の女性と話したのですが、彼らがここに事務所を持っているわけではないと話していました。おそらく双方に思惑の違いがあるんだと想像しましたが、そのときもその女性が「今日集まりがあるなんて私何も聞いてなかったし」と言っていて、ガリも後で、自由に使わせてもらっているけれど、その都度許可を得ないといけないのが問題と話していました。なんで身体の団体だけここを使わせるんだみたいな他団体からのやっかみもあるみたいで、早くみんなが集まることを出来る場所を確保するのが課題の一つであるとのことでした。

今日の集会は結局、3時から6時過ぎまでやりました。相変わらず若い人が絶えず集まっていて、ぼくらが知っている人はカルラ、クリスチャン、エフレインとガリくらいで、たくさん集まっていましたが、ほとんど新しく加わった人でした。モルフォもそうですが、行政がちゃんと対応していないので、何か問題があるとみんなまずここに来るという感じですね。


昨日は、まずガリがポトシの活動がどうやって始まったか、これまでどんな活動をしてきたか、現在抱えている問題はどんなことかなどを話してくれ、他のメンバーが補足するような感じで進みました。その後ぼくが現在コスタリカでやっているプロジェクトについて写真を見せながら話をしました。ここの現実とモルフォとをいきなり比べてもギャップがあり過ぎなんですが、スークレでAbilisの似たようなプロジェクトも始まっているので、それで隙間を埋めながら話をしてできるだけ、夢の話にしないように話してみました。

ここは先に書いたような地形の問題もあってただでさえ障害者が暮らしにくい条件であるうえ、ボリビア自体が社会保障をまともにやっていないこともあって、彼らの生活はほんとに苦しいです。ガリもこの1年で関係者が4人亡くなったと言っていて、こんなことをもう繰り返したくないと話していました。

Divertadは今教会の寄付を受けて、不足するカテーテルとか障害者に必要な医療用品を集めて障害者に分配するということも団体の活動のひとつにしています。障害者はみんな塞ぎがちで家に籠もっているので、家まで行って外に出し、さらにみんなで町にでかける活動まで繋げています。

ポトシでも今Abilisのプロジェクトに応募する準備をしているので、そんな話題をしていると、筋ジスのクリスチャンにみんなが、お前自立しろよーって言っていい雰囲気でした。たいていみんな冗談言いながら笑ってスークレもいいけど、ここもいい雰囲気作ってるなーと思って過ごしていました。

スークレのバスターミナルでバスを待つ












ポトシへの道中はずっとこんな風景

2014年8月14日木曜日

ボリビア出張編(4)ABILISプロジェクトのことなど


日曜日にスークレに着いてから比較的天気がよかったのですが、今日は打って変わって真冬のような寒さになりました。昨日の夜は遅くまで飲んでいて、今日はヌエバエスペランサでは朝からピアカンセリングをやっているというので、ぼくはお昼からゆっくり行くことに。1時半くらいに行ってみるとまだセッションの最中でした。きのうフェリーサからは12時くらいに来てって言われていたんですけど、よかったゆっくりしておいて。

ピアカンセリングには2人ほどメンバー以外の人が来ていて、フェリーサに言わせるともっと来るはずだったのに、やはりなかなか人の集まりが悪いのが問題の一つだと言っていました。ピアカウンセリングをやっていた午前中は久しぶりにメンバー全員集まっていたのですが、終了後すぐにアルミンダが大学に、3時半頃に今度はシルビアが大学へ。入れ替わってアルミンダが帰ってくるという調子で、マルセロも働いているしなかなか全員が揃わないのが今抱えている問題の一つです。

外はこんな感じ。雨もときおり。















先日も書いたとおり、今週の金曜日にAbilisというフィンランドの団体からプロジェクトのための最初の送金があります。いよいよ始まるというので、色々決めておかないといけないことがあり、アルミンダが帰って来た時点でそのための会議となりました。フェリーサ、アルミンダ、クラウディア、マルセロ、この4人が執行部なので、幹部会議といった感じでした。

Ablilisは自立生活を支援するのが好きということらしく、そういえばネパールのクリシュナのところも支援を受けていました。ヌエバエスペランサは数ヶ月前にもうすでにプロジェクトの認可は受けていたのですが、法人格を持っていなかったため送金を受け取る銀行口座を開けないでいました。それがやっと取れめでたく初送金となったわけです。

このプロジェクトも自立生活に特化したもので、介助者養成研修、ピアカウンセリング、各種啓発のセミナー、バリアフリーチェックなどがメニューに入っています。目標の一つに2人を自立させるというのも入っています。期間は10ヶ月で毎月1000ドルほどのお金が入ってきます。

ピアカンの後ご飯を食べてまったり

草の根と同じようにプロジェクトにはマネージャー(ここではコーディネーターと呼んでいます)を置かないといけないのですが、これには先に挙げた執行部の人間はなることができない規則になっています。なので、最初はシルビアがマネージャーをやる予定だったのですが、調子が悪くて来れない時期がつづいたらしく、任せられないような状況になり本人も了承の上他の人を探すことになりました。結果書類上はプリマがマネージャーということにし、実際はみんなでカバーしながらやることになったそうです。プリマは3月にヌエバエスペランサに加わったばかりで、しかも文字が読めないので、最近学校に通い出して読み書きを習い始めました。とうていマネージャーをやるような資質ではないのですが、他に選択肢がないということでこういう結果になりました。

クラウディアが会計で、マネージャーの仕事はフェリーサ、アルミンダ、プリマが分担。シルビアは介助者のコーディネーターをすることになり、みんながそれぞれ月600ボリビアーノ(86ドルくらい)を受け取ることが申し合わされました。JICAの草の根とは規模もやり方もまったく違うのですが、海外支援のプロジェクトということで共通する点も多く、ヒントをもらえたり逆にアドバイスできたりとなかなか興味深い時間でした。この事務所は午後6時までなんですが、なんだかんだで8時過ぎまでやってましたね。















たぶん、ふだんは言いにくいこともぼくがいることで、何となく言えたようなこともあったんじゃないかと思います。今この事務所で一番の問題は、アルミンダ、シルビアという中心メンバーが大学に通っていてなかなか関わり切れていないということです。アルミンダはとくに、日本に行って研修を受けて本来ならもう代表を引き継いで、フェリーサはラパスでの活動に専念しているはずでした。

一方で、矛盾するようですが、メンバーがみんな教育を受けていないことが問題だとフェリーサは考えていて、彼女らが大学に行くこと自体には賛成しています。ちなみに、アルミンダはソーシャルワーク、シルビアは法律を勉強しています。クラウディアも中学からやり直し、プリマも文字の読み書きから始めています。

フェリーサは、やはりなかなかみんなちゃんと事務所に来ないのをストレスに感じていて、自立生活運動は楽しんでやらないといけないと日本で習ったのに逆の結果になってるときがあると言っていました。昨夜飲んでいるときは、マルセロがもっと直接的に、勉強が将来役に立つのは分かるけど、日本まで行ってちゃんと準備したんだから、君が必要なのは今なんだよって言っていました。

そのマルセロも、「ぼくがフェリーサと知り合ったのは日本行く前だったんだ。そのときは障害者ツーリズムっていうのを始めていて、どんどん稼ぐような女だったのに、何これ?おれたち社会保険も入ってないし、でも来ただろ?ここに、彼女が嫌なことを無理にやってるのをみたくないからだよ」と。会議が終わった後も、外は寒く暗くなっていく中みんなが自分の過去の辛い話や、逆にこれからの夢などを話しながら過ごす時間がぼくにはほんとに幸せで、何とも言えない幸福感に浸っていました。今は介助者もいないのでトイレに上がるとか、ドアを開けに行くとか、タクシーに乗せるとか、学校に送っていくとかぜんぶぼくの仕事になっていたのですが、この原自立生活センター的な生活がほんとに楽しかったです。

今日はこれからポトシに行き、ガリの事務所を訪問します。週末にはラパスに移動。日曜はエル・アルトという空港がある町の団体が自立生活に興味があるというので、フェリーサ、アルミンダと一緒に訪問。けんかっ早いメンバーが多いというので面白そうです。月曜日はリッツィの団体メンバーと会議、火曜はフェリーサ、ガリ、ヘラルド、アルミンダとJICAボリビアに行ってきます。