2015年12月21日月曜日

フットボール


週が明けて月曜日です。町は完全にクリスマス休暇モードで、モルフォも先週金曜日が仕事納めで、ルイスやウェンディなど地方から出てきている人たちは週末のうちに実家に帰りました。

ぼくはまだ精算の作業が少し残っているのと、今日はICEというちょうど日本でいうとNTTのような会社がペレスセレドンにコールセンターを作るということでそこで雇う障害者を面接するために事務所を貸しています。マルセラとジャクリーン、マタと地元の人たちもそのため管理のために事務所に出てきています。写真も撮ろうかなと思ったのですが、ちょっとみんな真剣そうなのでやめておきました。

ペレスセレドンはもともと障害の種類も程度も関係なくざっと50人くらいの障害者がひとつの大きなグループを作っていました。一昨年頃からその中で比較的軽度な身体障害者が中心に就労を中心とした社会参加を要求していく団体を作る準備を始め、昨年完全に分離してしまいました。一度に50人ほどが集まると壮観だったのですが、多くの人がそちらの団体へ行ってしまったため最近は少し寂しい感じがしないわけではなかったです。

それでも、そもそもモルフォには自立生活運動という目標があり、全員がその旗の下に集まれるかと言えばそうでもなかったし、モルフォの活動に刺激を受け、ノウハウを学びながら新たな団体ができることはいいことだと思いました。そうしてその団体はちゃんと法人格も取れ労働省とも交渉したりしながら活動を始めました。

コールセンターはもともとそっちのグループが中心にやっていてそれが地元にニュースにもなっていたので、ウェンディに来週事務所来る?って訊かれこの話しを聞いたときに、「でもそれって後々ややこしいことにならない?」ってウェンディに逆に尋ねたときの彼女の悪そうな顔を見せたかったですね笑。

そりゃそうですね。団体ができる前は休みの日に来て事務所開けて会議の場所を提供したりして色々協力したのに、できたらまったく寄りつかないし、それどころかメンバーの引き抜きみたいなことまでするので、あの温厚なルイスですら怒るくらいでした。昔から関わりのあるラウラという皮膚があざのようになる障害がある女性がいるのですが、どこか役所に提出する書類を作らないといけないけれど自分ではできないのでサポートを頼んで来たことがありました。一日インタビューして書類作るのにまた一日といったけっこうな仕事で、ぼくはその前後ルイスがとても忙しいのを知っていたのもあって、それこそそのおおぜいとともに去って行った人なので、「そんなのあっちのグループの人にやってもらったらいいじゃん」って言ったら、「いやこれもぼくらがやらないといけない仕事なんだよ」って。なんて偉い人なんだろうって思いました。ラウラはその後ちょくちょくまた来てくれるようになりました。

こういう話しはなかなか報告書に入れたりするのはむつかしく、表面に出にくいことなんですが、こういうことがあるからこそ、モルフォというのは素敵な団体になっていると思うんですね。



さて、上の写真は土曜日のものです。モルフォの介助者の人たちがサッカーをやるというので、観に行って来ました。



お昼ご飯を食べ終わって、みんなと待ち合わせ市場のあたりの坂を上って民家の間の通りを進んでいくと倉庫のような建物があり、入るとコートが。こんなところにあったんだという場所でした。

















男の子5人にカロリーナとジルラニ、それとカロリーナの妹も参加しました。ジルラニ以外はちゃんとみんなサッカーシューズを持っているのがまずすごいなーと思いました。男女混合のチームで始まったのですが、みんな久しぶりのようだったしこのメンバーでやるの少なくとも初めてだったのですが、なんかすごく上手なのにびっくりしました。


ちゃんとうまい人が自分で持っていけそうだったら走るし、無理だったらちゃんと左右に振って誰かがアシストしてゴールまで持っていくようなどのシュートもちゃんと形になっているのがすごかったですね。

よく日本のサッカーが語られるときに文化的な土壌みたいなことが言われたりしますけど、これはやっぱり違うような〜ってあらためて思いました。この日は何人来るかもはっきりしてなくて途中でカロリーナの妹がリタイアしたりアクシデントがあったのですが、その都度あるもので何とかやってしまうのが素晴らしいなと思いました。こないだのコロンビアの介助者研修のときでも、2日目ファニーが来るのが遅れたとき、ぼくのような日本人はどうしても最初に立てた計画どおりにできるだけ戻そうとするんですけど、彼らは臨機応変に起こった状況に対応しながらなんとなく形にするのでちょっと感心して見ていました。やはりサッカーにも共通するそういうラテンの国民性を感じた週末でした。



2015年12月17日木曜日

忘年会


さて、昨夜は仕事が終わった後忘年会でした。
去年も同じタイトルで一年の仕事が終わった後ブログを書いているのですが、そこで写っているマリクルースが抜けたり、一日かけてチチャロンを作ってくれていたホセ・ベネガスが抜けたり、介助者の入れ替わりがここのところ激しかったのが写真を見返してみてもよくわかります。

それに代わって障害者メンバーに新しい顔ぶれが増えたり、一見かなり変化のあった一年ではあったのですが、それでもモルフォというアイデンティティは変わらずちゃんときっちり保ってあるという、これが団体を作るっていうことなんだな、とあらためてここで学んでいるような気がします。


昨夜はパーティーが始まる前にまず、いつものようにルイスから一年の感謝の言葉があって、その後来年からのコーディネーターの交代の発表がありました。モルフォは最初3ヶ月交替でお試しのような形でコーディネーターの役割を回していたのですが、2014年から一年きっちりやる形に変えて、デレとグスタボはそれからまる2年間コーディネーターをやってくれました。

デレはそれまでモルフォの活動にはそれほど関心を持っているようには見えなかったのですが、ルイスが代表になった後、まるで別人になったかのように積極的に彼を支えて事務所の裏方をやっていました。旧事務所でみんなが放っていたパーティーの後片付けなど一人でもくもくとやっていた姿を思い出します。

グスタボはエリエセルと行った日本の研修から帰った後で、モチベーションも高く日本で学んだことは全部こちらで定着させたのではないでしょうか。エクセルを駆使して作った請求システムも含めて、事務所の安定化の功労者です。ぼくは個人的に困ったときに色々助けてもらっていたので、感謝しているしちょっとうるっと来ましたね。

新しくコーディネーターになるリオスは、コーディネーターとしては初めてですが、もうすでに介助者として経験は積んでいるし、いつでも事務所にいてすでにスタッフのようにして働いてくれているので十分やってくれると思います。カテリンが最初お試しで3ヶ月やったとき、年末ウェンディの帰省に同行する介助者がいなく、じゃあ私が行くってクリスマス年末年始と自分の事は後回しにしてウェンディとグァナカステで過ごしました。ウェンディはカテリンを評価するときに、今もこの話をよくするしぼくも、モルフォの人が自立生活センターの仕事を理解してくれた最初の実例としていまだに忘れられないことです。
















パーティはいつものように音楽が流れ、踊る人がいて、カラオケがあって、歌う人がいて、その後クリスマスらしくプレゼントが配られました。



今は日本7ヶ月コスタリカ5ヶ月くらいの割合で過ごしているので、実際はこっちで過ごす時間の方が少ないのですが、日本にいると年末年始も普通に介助の仕事があるし、あまり一年が終わったような感慨を覚えることはなく、こちらは地方から出てきている人は帰って完全に事務所も閉まってしまうので、日本にいるときよりしっとりとああ一年が終わったな〜と感じます。

ぼくはまだ精算の仕事を残しているので来週もまだ少し仕事して帰りますけどね。

2015年12月15日火曜日

年間活動報告など


さて、今回は11月25日にコスタリカ入りし、ペレスに移動したらすぐに週末にかかっったので、翌週月曜日1日出勤してすぐにコロンビアという日程で、帰って来てもその週は金曜日1日出勤したらまた週末ということで、やっと今週から腰を落ち着けてモルフォで働いています。といっても今週一週間で今年のモルフォの仕事も終わりなんですけどもね。

昨日は、朝からモルフォの理事会や会員の人を招いて会議がありました。よく関わってくれているホルヘやフランシスコ、アルフォンソの他に、昔から地元の障害者グループのメンバーであるラウラや久しぶりにアイーダも来ていました。

この日は、週末にみんなでビーチに行って交流することの打ち合わせがおもな議題だったのですが、後でルイスに聞くと今年一年の活動報告もやったそうです。プロジェクトの目標と進展具合、それに予算も公開してどんな使われ方をしているかも説明したということでした。

これは、PDMというプロジェクトの設計図のような書類があるのですが、その中でやらなければいけない活動の一つとしてあげられているもので、組織づくりの土台からひとつひとつ積み重ねてきてやっとここまで来たかとちょっと感慨深いものがありました。自前の予算で運営できていないというだけで、自立生活センターとしてはもうどこに出しても恥ずかしくないような立派なセンターになったと思います。




12月6日には資金集めのためのマラソン大会をオーガナイズして、175人の参加者でした。好評で大成功だったということでした。センターとしてはもう完全に独り立ちしていると言ってよく、ぼくが口を出す場面はどんどん少なくなっています。ぼくは、JICAに提出する領収書の整理と、これらの活動を報告書に纏めることがおもな仕事ですが、先日のコロンビアでの介助者研修もそうですが、モルフォの仲間たちがコントロールできない部分をフォローするのが仕事のようにもなっています。

そうしたものの一つが、今計画中の「コスタリカでの車椅子の普及プロジェクト」です。先月廉田さんと東京で斎藤工房さんにお邪魔して、コスタリカへの視察訪問を依頼してきたので、その報告ともう少し具体的に内容を進めていくために、土曜日にサンホセの技術者のグループに来てもらって話しをしました。朝8時からの会議で彼らは車で来たので、5時くらいの出発だったのでしょうか。この視察は2月に計画しているのですが、斎藤さんがパキスタンなどでされている活動を紹介したり、逆にこちら側で希望していることなどを訊きながら一週間程度の日程を作りました。

コロンビアでの活動も、この車椅子の企画も2017年にこのモルフォプロジェクトが終わった後にも関わってくる計画で、なんとなく色々探りながら動いている感じです。うまくいくといいんですけどね。


2015年12月7日月曜日

コロンビア出張編(7)介助者研修


こんにちは。今ぼくはコロンビアの首都ボゴタにいます。9月に来たばかりなのですが、3ヶ月開けてまた来ました。

今回の目的は、12月3日の国際障害者の日にあわせてボゴタのグループが何かやると聞いていたのでそれをちょっと見たかったのと、前回うまく予定が合わなくて会えなかったここにいる友だちに会うこと。それとせっかくなのでまたメデジンに行って奥平さんに会って帰ろうかなって思っていました。

先月計画を立て始めた頃奥平さんにご都合を伺ったところお忙しそうだったので、今回はメデジンを訪問するのは諦めました。それでも飛行機は一週間の滞在ですでに押さえてあるし、アイデーのグループと会って、タチアナと会ってもぜんぜん時間あるしどうするかな?って思ったんですが、思いついて介助者研修でもやることにしました。

このブログはここで終わっている一連のコロンビア出張編のつづきになるので前回あったことは遡って振り返ってほしいのですが、ボゴタでグループを作ろうとしているアイデーにそのアイデアを話したらぜひやりたいということだったので、その日からメッセージをやり取りしながら計画を具体的にし始めました。

アイデーはすでにウェンディからモルフォで使っている介助関係の資料は全部もらっていたので、その中から参加者に配ってほしいものを言って印刷してもらうようにしました。



ぼくも日本を出る前は、コーヒーを輸入する準備をしながら出発の準備とちょっとばたばたしていたので、飛行機の中でイメージを作りながら最終的にはペレスからサンホセに行くバスで2日間の研修のプログラムを作ってアイデーに送りました。上の写真は、研修の前日3日の日にアイデー宅に行って打ち合わせをしたときの写真で、彼女は研修の修了書を作成中でした。3日にやると言っていた活動は結局他のメンバーとうまく話が纏まらずやらず仕舞いでした。フリアン、ファニー、エレーナという他の理事会メンバーがほとんど活動に参加しないのが、現在アイデーの悩みでもありこのグループの問題でもあります。

エレナさん自分史














介助者研修ですが、本来は最初に障害者のメンバーが行って、自立生活運動の理念を伝えた後それを補完するような位置づけでやるものだと思うので、その順序が前後するのが気になっていました。自立生活運動がどうやって始まって日本や世界に拡がったか、自立生活センターとはどういうものかなどはどうしてもぼくがある程度説明せざるを得ないので、その他の部分はできるだけアイデーがリーダーシップを取って、一般的な介助者研修ではなく彼女が自分や自分の障害のことを考えて、自分自身の介助者を研修することを目的にするような感じでやってほしいことをまず繰り返して伝えました。プログラムは2日間でこんな感じでやることにしました。

1日目
1)アイデーの挨拶
2)タケシ自立生活運動の歴史、日本とコスタリカやボリビアの経験、自立生活センターの役割
3)エレナ(理事の一人ポリオ)の人生と障害について
4)アイデー(代表脳性麻痺)の人生と障害について、コロンビアの障害者の実体について
5)アイデーの介助に焦点を当てた介助者研修

2日目
1)フリアン(副代表頸椎損傷5番)の人生と障害について
2)ファニー(理事の一人視覚障害、病院のケースワーカー)の人生と障害について
3)車椅子研修と視覚障害体験
4)フリアン障害者の権利条約とコロンビアの批准と実体
終了



エレナさんは活動家というよりは、近所に住む障害者のおばちゃんという感じの人なので、自己紹介をしているだけみたいだったですが、アイデーの話しは上手だったです。木村さんと同じように絵を描く障害者で、それでスペインに留学した話しや、そこで知り合った男の子と恋に落ちて男の子がコロンビアまで追っかけてきたこと、最終的にそれに破れたことが、自立生活運動をやりたいというのに繋がっていて面白かったです。


















講義の部分も質問がいっぱい出てよかったのですが、実習の方がこういうのがみんな初めてだったのか、めちゃくちゃ盛りあがってました。研修というにはどれだけ技術が伝わったか分からないですが、最低限腰を痛めないコツはわかってくれたのではないかと思います。


フリアンは初日は大学で用事があって2日目からの参加、ファニーはさらに遅れて2日目の午後からでした。

2日目はフリアンの話しから始まったのですが、フリアンも障害者になって変わったことや障害者の生活がどんなのかをとても上手に話していたと思いました。今は大学院にいて自立生活運動のことを修士論文で書いているらしいですが、アイデーの活動にあまり関わらないのにどうやって論文だけ書くのだろうと疑問に思いながらも、こういう人がちゃんと関わってくれるといいのになとも思っていました。

ほんとうはこの後ファニーの話しを聞いてからみんなで外に出て実習するはずだったのですが、ファニーがなかなか来ないので、みんなで向かいに行きつつ実習に入ることにしました。


無事合流して、フリアンを押す人、車椅子に乗ってみる人、視覚障害を体験する人、視覚障害者を介助する人をそれぞれ体験しながら、アイデーのアパート付近を一周。ファニーの話しとフリアンの権利条約の話しは途中の公園でやることになりました。その後アイデー宅に帰りみんなの感想を聞いて、修了証を渡して無事終了。


昨日も反省会がてらアイデーの家に行って話をして来たのですが、ぼく自身はとても楽しかったしやってよかったと思いました。アイデーもそうなのですがフリアンやファニーがあまり関わってくれなかったのが不満なようでした。

あまり彼らに固執する必要はないのではということは常日頃アイデーには言っているのですが、そうしてしまう気持ちも分からないでもなく、それでも今回の参加者の反応はよくこれからも何かあれば声を掛ければ来てくれそうだったので、もうこんかい研修に来てくれた人と資金集めに何か作って売ったりして活動をはじめればいいんじゃないかということなんかを話していました。ぼくとしてもちょっと種は蒔けた感じはするので、うまく育ててくれるといいかな〜と思います。

今回の参加者は母娘で参加していたのが4組ありました。忘れないようにここに記録しておきますね。
いつもアイデーの活動を手伝ってくれている、ナンシーさんと娘さんのカロリーナ、モニカさんと娘さんのパウラ、マリアさんと娘さんのアレハンドラ、アナさんと娘さんは小さく1日目だけだったのでちょっと名前は忘れちゃいました。娘さんたちは大学生や高校生なのでうまく今後も関わってくれると嬉しいですね。

2015年11月30日月曜日

ただいま


こんにちは。
先週の水曜日の夜にサンホセに到着して、今日は週明けの月曜日です。金曜日にペレスセレドンに着いて今日からモルフォに出勤しています。何だかコスタリカに来てずいぶんと時間が経ったような気がしますが、水曜日は深夜の到着、木曜日はJICAコスタリカ支所にお邪魔して、この間あった動きについて色々報告してきました。夜はたいてい五十嵐さんと会食という流れなんですが、エルサルバドールで通訳のお仕事ということで、この夜は大使館の萩原さんとサンホセ市役所で環境教育のボランティアをされている丸橋さんとで、いつもの皇朝でお食事でした。



さて、週末をゆっくりさせてもらって今日から出勤しているのですが、モルフォは今次の日曜12月6日に予定しているチャリティーマラソンの準備の真っ最中です。これは前回ぼくが帰国する2ヶ月前くらいから準備が始まったもので、さっき聞くと150人ほどもう参加者があるそうです、登録料を取って上位入賞者には現金が賞金で渡されるというシステムになっています。ランニングウェアも作ってそれにスポンサーを募って広告を入れるというものやっています。これらすべてがモルフォの運営資金になり、今年はこれが唯一最大のイベントなのでみんな張り切ってやっています。



モルフォのメンバーだけでなく、広くモルフォファミリーを巻き込んでやっているのでご覧のように今日も何か打ち合わせをやっています。といってもぼくは明日もうサンホセに上がって明後日から一週間ほどコロンビアに行ってきます。ボゴタのグループとコロンビア初の介助者研修をやることにしていて、ぼくは今そっちとの打ち合わせで忙しい感じですね。それが終わったらタチアナとデートして翌週火曜日にはまたコスタリカに戻ってくる予定です。





















ところで今日出勤してびっくりしたのは、ホセ・ベネガスとバイロンというもうちょっとベテランに近い介助者の人が辞めちゃってたことでした。モルフォは先月から介助者の人たちを独立事業主として財務省に登録しなければならなくなったのですが、この二人は事情があってそれをやりたくないとう事情らしいです。これはモルフォとしてはきちっとお金の流れがはっきりした団体になるということで、やらなければならいないと同時にやっておいた方がいいことなんですが、人には色々事情があるようで残念ながら致し方ないのででょうか。

上の写真は代わりに入ったフランクです。カテリンの弟で、芸大出身なのですでにこうした場面で狩り出されています。介助は今日初だそうです。グスタボにタトゥー入れたのも彼です。もう一人はホスエの従兄弟でクリストファーくん。やはりこうした緊急時にあてになるのは親族なんでしょうか。

2015年10月2日金曜日

今週のモルフォ


さて、コロンビアから帰ってきて月曜日から出勤、無事に一週間が過ぎようとしています。9月17日の大行動が終わってから、モルフォも少し落ち着いて事務所にいてもゆったりとした空気が流れています。

今週はスタッフ会議を時間の都合で火曜日と木曜日に分けてやり、上の写真は火曜日のものです。この日はアルバイトで雇っている介助者の人の税金の問題が浮上。事業所の登録をやろうとすると付随的に、様々な手続きをしないといけないようになってきています。モルフォの介助者の人たちは、現在独立事業主として働いてもらっていて、本当は入らないといけない保険等をモルフォは免除してもらっている状態です。

しかしながらそれでも独立事業主として、登録して必要経費があれば差し引いて税金を納めないといけないなどの説明がありました。昨日はあるメンバーがタクシーを使いすぎている問題と、アルバイトの介助者に仕事を頼みすぎ、コーディネーターがもっとやるべきでは?などというのが議題でした。


月曜日、これもちょっと暇になって来たからという和やかな歓談シーン。久しぶりに筋ジスのジョバンニにCONAPDISのマウリシオも来ていました。





月末の水曜日はシフトが出る日です。写真のように介助者・利用者が集まって、まず読み上げながら間違いがないか確認し、その時々の問題になっていることを話します。すばらしいですね。



そして今日は理事会メンバーとの会議です。モルフォの代表、副代表、事務局長とアルフォンソ、ジョナタン、フランシスコの理事会メンバーです。これもきっちり一月に一回行われています。



2015年10月1日木曜日

自立法採決に向けて(6)


さて先週コロンビアから帰国し、月曜日から通常どおり出勤してモルフォで働いています。精算の作業に追われていたのですが何とか目途もついて来たので、まず一番気になるのは自立法の進み具合を振り返っておきます。

ぼくがいなかった期間も含めて現在までをおさらいしておきますね。まずこの自立法は、正式には「障害者の自立促進のための法律」といい、#17305という法案番号が振ってあります。国会のホームページがありこの#17305で検索すればこの法案が2009年3月に最初に提案されてから直近まですべての手続きが記録されています。

お蔵入りしてしまう危機を何回か迎えながらも何とか持ちこたえたこの法案を昨年5月に始まった現政権で本格的に法律にする方向になりました。障害者委員会で修正を加えながら議論を重ね、先7月1日に委員会で承認され、8月13日には本会議での審議待ちリストに並ぶことになりました。8月は政府提案の法案を審議する特別国会の期間だったのですが、25提出されている中で23番目だったりあまり優先順位が高くありませんでした。




こうした中、モルフォでは全国から障害当事者の仲間を集めてまず8月19日〜20日最初の一斉行動を行いました。サンビト、グアピレス、サンラモン、プンタレナスといったモルフォが直接育てたセンターの人たちが中心に集まって国会でロビーイングを行いました。同じようなロビー活動を8月24日〜25日にも行い、このときには、前コンセホ、再編したCONAPDISの代表フランシスコ・アソフェイファ氏や各党派の代表に要望書を送ったりもしています。

国会で作ったステッカーを議員に配りながら自立法の必要性を説いているのですが、現在までまだ法案の内容の可否を議論するような審議には至っていません。審議はされていますが、それは法案の扱いについての技術的なものです。まず8月27日にこの法案をPlazo cuatrienalという期間に入れるという決議がなされました。これによってこの法案は4年後の2019年8月27日まで国会で廃案になることなく審議できることになりました。

この法案が提出されるタイミングで、同時に「国家リハビリーテーション・特殊教育審議会」=(コンセホ)が先に触れたように「国家障害者審議会」=(CONAPDIS)という組織に再編されたため、この自立法の中で担当機関となっているこの機関の名称を修正する必要がありました。そのため9月2日にいったん本会議から委員会に戻され9月17日に再び本会議に帰って来ました。



このタイミングで事前に準備を重ねて、この自立法に関して最大の行動を起こすことにしていました。できるだけ多くの障害者が国会に駆けつけみんなで国会を障害者の鎖で囲むというもので、実際80名ほどの人が集まりそのうち60人ほどが障害者でした。Diario Extra, ウェンディがなぜ障害者に自立が必要なのか?を語った番組, この日の活動を取材した番組


10月に入った現在はいったん小康状態になっています。今は来年のための予算関係の法案が優先されるということで、次どのタイミングでプレッシャーを掛ければよいかなど、オスカル・ロペス議員のアドバイザーなどと連絡を取りながら時期を見ているところです。ぼくも10月採決があるなら今月いっぱいコスタリカにいようかなと思ったのですが、こうした状態なのでいったん日本に帰ってくることにしました。

2015年9月30日水曜日

コロンビア出張編(6)


といってももう月曜日からモルフォに帰って働いているのですが。
コロンビアで書き残した小ネタがいくつかあるので、せっかくなので載っけてしまいます。コロンビアには概ね仕事で行ったのですが、3日ほど離れてキブドーという太平洋岸の県にある町に行ってきました。グルーポ・ニーチェというコロンビアのとっても有名なサルサオーケストラがあるんですが、その創設者で3年前に亡くなったハイロ・バレーラというアーティストの出身地なんですねここが。ぼくはずっと彼のことを崇拝していて、この世の中でこういう人になりたいという3人の人物の中の一人でした。

コロンビアは地形も気候も人種もとても多様性に富んだ国ですが、ここは住民のほぼ90%ほどが黒人で、ボゴタやメデジンなどの都市とはまったく違った雰囲気を味わえます。このビデオはバレーラが亡くなってカリという町で埋葬される前に、一度棺が故郷に帰ってきたときの映像です。ここは町の中心にある教会でこうやって彼の作った歌で迎え、また送り出したんですね。もちろんこの教会にも行ってきました。キブドーではぼくが帰る日からお祭りだったのですが、その前日町の子供たちのパレードがありました。めちゃくちゃ可愛かったです。




メデジンにいる間はずっと奥平さんのお宅でお世話になっていました。ポブラードという高級住宅街にあるエステラールという五つ星ホテルとツインタワーのようになったマンションです。ホテルと同じ経営者だそうです。バストイレ付きの一室を使わしてもらったのですが、ベッドがめちゃくちゃでかくて、ユースホステルを使う感覚で一瞬シーツ持参で行こうかなって思ったんですけど、3枚くらい必要だったですね笑。


だいたい一緒に帰って、買い物行ってご飯作ってワインで一杯という生活でした。アメリカ時代のことやもちろんダスキン研修のことなどゆっくりお話を伺えて、ほんとうに貴重な時間を過ごさせてもらいました。とくに、メデジンとブカラマンガで奥平さんがこれから運動を進めて行くにはいいんじゃないかと目を付けていた当事者に一緒に会いに行って、一部通訳もさせてもらったりしました。話しをしているうちにそれぞれがすでにしっかり運動に関わっていることがわかり、彼らの話からコロンビアの障害者の実態が見えてきてものすごく楽しい時間を過ごせました。何だか奥平さんがダスキンの研修生を選ぶ面接に同行させてもらっているようでとても光栄に思いました。どうもありがとうございました。




エルカルメンデチュクリに行く前は、ジュディ・ヒューマンにプレゼンの資料をチェックさせてるって言ってました笑。うまく写真では見えないかも知れないですが、すげー。ふつーにジュディ・ヒューマンとSkypeしてるー。でも、資料はアカデミック過ぎるから、もっと自分の話をしろって、廉田さんに言われるようなことを言われてました笑。























JICAの仕事でプロジェクトをやっていると様々な日本人関係者とも繋がりができます。上はプロジェクトの同僚上條さん。フェリーサとのコンビでボリビアに障害者手帳を導入した功労者です。すでにコロンビアでも何人分もの仕事をしているように見えました。ずっと何年も前からフェリーサから話しは聞いていたんですがやっと会えました。しかもコロンビアで。

協力隊員の方々とのお食事会。左はこのメデジンの大学でスペイン語を勉強しているあかりさん。現在唯一の奥平さんの介助者です。隔日で来て家事の補助をしてくれています。






エルカルメンデチュクリでの一コマ。ここはほんとに田舎町で、夜ごはんにふらっと出ると寒くなく暑くなく、ゆったりとした空気が流れていてとても心地よかったです。
町の少年少女に囲まれるカウンターパートのレイディさん。普段はボゴタの紛争被害者支援ユニットで働いていますが、このJICAプロジェクトの直接の担当者です。この町でJICAの協力隊員として働いている伊藤さん。町のすべての住民と知り合いのようでまるでアイドルのようにみんなから声を掛けられていました。じつは、岸和田出身のコテコテの関西人であることが判明。レイディは2月に日本に研修に行くことが決まっていて、メインストリームにも行くことになっています。伊藤さん直伝の関西弁も特訓中なので来たらみんなで試してみようね。


キブドー教会の内部


2015年9月27日日曜日

コロンビア出張編(5)


月曜日のエルカルメンデチュクリでの研修の翌日、山ちゃんやカウンターパートのレイディさんはそのまま金曜日まで研修を続けていたのですが、奥平さんとぼくは一足先にブカラマンガへ。朝8時に再び5時間の道のりを戻っていきました。

この日はブカラマンガで、ヘンリーという脊椎損傷の障害者団体の代表と話しをする予定で、約束の2時に一時間ほど前に着いたので食事をして、写真のファン・バルデスのカフェテリアで待っていました。写真は右からマリアデルピラールさん、この日の会談相手ヘンリー、彼の協力者で理学療法士のオルガさん、通訳のルイス・ミゲル、マリアデルピラールさんの大学の仲間で、バリアフリーを研究しているという男性(名前忘れちゃいました)です。

このプロジェクトはメデジンに近いグラナダと、ブカラマンガと同じサンタンデール県にあるエルカルメンデチュクリと2つのサイトを対象に紛争被害者である障害者を支援していくものであります。現在そのそれぞれのサイトで細かく障害者を探してリストにしていることはすでにお伝えしました。プロジェクトでは、このサイトで当事者団体を作って、ピアサポート的な手法でエンパワメントしていき、最終的にここの障害者の自己肯定感が高まるという風に計画されています。しかしながら、現在半年経ったプロジェクト関係者の感触として、想像以上に障害者の数が少ない、とくに紛争で身体に障害を負った人たちは、メデジンやブカラマンガの大きな病院で治療を受け、そのまま帰ってこないことが多いので、さらに数が少なくなっている、などという問題が出てきており、このサイト内で団体設立はむつかしいと考えられ始めています。


向こう側ブカラマンガ〜エルカルメンを往復してくれたダニエル。
奥平さんたちは、そこでサイトに近く県庁所在地でもあるメデジン、ブカラマンガに団体を作って支援をし、そこの障害者をとおして、2つのサイトの障害者をケアしていこうという方針に転換していくことを考えています。この出張編(3)で会ったヘルマンや今回のヘンリーは奥平さんがこれまで会った障害者の中でもリーダー候補として有望な人で、そこからまた彼らの知っている障害者に声をかけてもらい、まずリーダー養成研修を行い、その後はさらに広く障害者を募ってもっと大きな規模のセミナーを開こうという計画になっています。

今回コロンビアに来て何となくこの国の障害者運動の大まかな構図というのが見えてきました。大統領府にはファン・パブロ・サラサールという頸椎損傷の当事者が障害者インクルージョンの担当としているのを初めとして、ボゴタにはアイデーのグループがあり、メデジンのヘルマン、ブカラマンガにはヘンリーがいます。ちなににメインストリームで研修したオマールもブカラマンガ出身で現在ここにいるということです。今回は会えなかったですが。カリにはアンドレス・イギータとモントーヤもいて、全国的にそこそこ障害者運動をやっているリーダーたちがいるということ、彼らが、国連の障害者権利条約を国に遵守させるよう要求するネットワークを作っていることなども分かってきました。コロンビアではすでに権利条約を国内法に適応しないといけないということを記した1618号法というのも存在して、彼らはこれをもとに交渉を行っています。

ただ奥平さんの目から見て、そのリーダーたちがみんなばらばらで活動しているのが問題で、そうした状況をよくないと思いながらもこちらのリーダーたちも認めてしまっています。これからの流れですが、先に書いたような研修をつづけて、できるだけ奥平さんのできることをやってもらってその後2月に廉田+メインストリーム協会メンバーが、本格的に自立生活運動の考え方を障害者と政府関係者に伝える。来年度さらにこれを全国的に拡げていき、できればKaloieのときのように日本での地域研修にまで繋げていきたいと思っているのですが、ここまではまだはっきりしたことは言えません。


法律を書いた研修用の冊子を奥平さんに献本中

ヘンリーの話では、一般の障害者に対する施策がほぼゼロに近いので、みんなむしろ紛争被害者になりたがっており、その方が優先的に住居をもらえたり、補償金がもらえたりするので、嘘をついてなる人もいるそうです。紛争被害障害者の一般社会への復帰をめざすこのプロジェクトですが、むしろ紛争被害障害者になる人の方が多いという倒錯した状況もあって、かなり複雑なことになっているのですが、方向性としては安心して普通の障害者として暮らせるように国全体の障害者施策の向上を狙っていくというごく当たり前の戦略を取らざるを得ないのが、ぼくもそうですがプロジェクトが今考えていることのようです。

2015年9月24日木曜日

コロンビア出張編(4)


ちょっと時間が空いてしまいましたが、日曜日からこのコロンビアのプロジェクトの本当の対象地域であるエルカルメンデチュクリに行ってきました。メデジンから定員25名ほどの小型飛行機に乗ってまずブカラマンガというベネズエラに近い町まで。そこから車に乗りかえて5時間行ったところにあります。

このプロジェクトは障害者の支援なのですが、その中でも50年間続いてきた政府とゲリラの内戦によって障害を負った障害者を対象にしています(めでたく昨日キューバでこの2年あまり続けられてきた和平交渉が合意に達しました)。プロジェクトではこのエルカルメンデチュクリとメデジンに近いグラナダという二つの町をサイトにしています。現在はこの二つの町でもともとあるリストを元に障害者がどれだけいるか、そのうち紛争で被害を受けた障害者がどれだけいるかを一軒一軒足を運びながらデータ化する作業を終えようとしているところです。

今回の訪問の目的は、これからこれでできた障害者のリストに上がった人たちにアンケートをしていくのですが、その調査員の候補者に対する研修が一週間あり、奥平さんはその中でソーシャルインクルーションについて講義を任されていました。



ちょっとこの日は、まだこのあたりに敷設したままになっている地雷についての知識や注意点を講義するためにボゴタとインターネットを繋いで行う作業がうまくいかず、奥平さんの講義の時間がかなり大幅に縮小しなくてはならなくなり、多少年燃焼不足なところはあったのですが、それでも当事者が話すことでこの日のメニューでは一番盛りあがってました。


















この日は他に、結局延期になった地雷についてのレクチャーと、紛争被害者支援ユニットの担当者が行うインタビューの際に心がけなければならない配慮注意点のレクチャー、上の写真はブカラマンガの大学の先生マリア・デル・ピラールさんによる障害種別のレクチャーなどがありました。マリア・デル・ピラールさんとはぼくはすでにボゴタのメンバーを通じてネット上では知り合いになっていたのですがやっと実物に会うことができました。



















その他、3月にメインストリームに来てくれた専門家の山ちゃん。プロジェクト実施と同時にエルカルメンにボランティアに入った伊藤さん、カウンターパートである紛争被害者支援ユニットでプロジェクトの直接の担当者になったレイディーさんなど、このプロジェクトに関わっている人とも会うことができました。