2015年9月30日水曜日

コロンビア出張編(6)


といってももう月曜日からモルフォに帰って働いているのですが。
コロンビアで書き残した小ネタがいくつかあるので、せっかくなので載っけてしまいます。コロンビアには概ね仕事で行ったのですが、3日ほど離れてキブドーという太平洋岸の県にある町に行ってきました。グルーポ・ニーチェというコロンビアのとっても有名なサルサオーケストラがあるんですが、その創設者で3年前に亡くなったハイロ・バレーラというアーティストの出身地なんですねここが。ぼくはずっと彼のことを崇拝していて、この世の中でこういう人になりたいという3人の人物の中の一人でした。

コロンビアは地形も気候も人種もとても多様性に富んだ国ですが、ここは住民のほぼ90%ほどが黒人で、ボゴタやメデジンなどの都市とはまったく違った雰囲気を味わえます。このビデオはバレーラが亡くなってカリという町で埋葬される前に、一度棺が故郷に帰ってきたときの映像です。ここは町の中心にある教会でこうやって彼の作った歌で迎え、また送り出したんですね。もちろんこの教会にも行ってきました。キブドーではぼくが帰る日からお祭りだったのですが、その前日町の子供たちのパレードがありました。めちゃくちゃ可愛かったです。




メデジンにいる間はずっと奥平さんのお宅でお世話になっていました。ポブラードという高級住宅街にあるエステラールという五つ星ホテルとツインタワーのようになったマンションです。ホテルと同じ経営者だそうです。バストイレ付きの一室を使わしてもらったのですが、ベッドがめちゃくちゃでかくて、ユースホステルを使う感覚で一瞬シーツ持参で行こうかなって思ったんですけど、3枚くらい必要だったですね笑。


だいたい一緒に帰って、買い物行ってご飯作ってワインで一杯という生活でした。アメリカ時代のことやもちろんダスキン研修のことなどゆっくりお話を伺えて、ほんとうに貴重な時間を過ごさせてもらいました。とくに、メデジンとブカラマンガで奥平さんがこれから運動を進めて行くにはいいんじゃないかと目を付けていた当事者に一緒に会いに行って、一部通訳もさせてもらったりしました。話しをしているうちにそれぞれがすでにしっかり運動に関わっていることがわかり、彼らの話からコロンビアの障害者の実態が見えてきてものすごく楽しい時間を過ごせました。何だか奥平さんがダスキンの研修生を選ぶ面接に同行させてもらっているようでとても光栄に思いました。どうもありがとうございました。




エルカルメンデチュクリに行く前は、ジュディ・ヒューマンにプレゼンの資料をチェックさせてるって言ってました笑。うまく写真では見えないかも知れないですが、すげー。ふつーにジュディ・ヒューマンとSkypeしてるー。でも、資料はアカデミック過ぎるから、もっと自分の話をしろって、廉田さんに言われるようなことを言われてました笑。























JICAの仕事でプロジェクトをやっていると様々な日本人関係者とも繋がりができます。上はプロジェクトの同僚上條さん。フェリーサとのコンビでボリビアに障害者手帳を導入した功労者です。すでにコロンビアでも何人分もの仕事をしているように見えました。ずっと何年も前からフェリーサから話しは聞いていたんですがやっと会えました。しかもコロンビアで。

協力隊員の方々とのお食事会。左はこのメデジンの大学でスペイン語を勉強しているあかりさん。現在唯一の奥平さんの介助者です。隔日で来て家事の補助をしてくれています。






エルカルメンデチュクリでの一コマ。ここはほんとに田舎町で、夜ごはんにふらっと出ると寒くなく暑くなく、ゆったりとした空気が流れていてとても心地よかったです。
町の少年少女に囲まれるカウンターパートのレイディさん。普段はボゴタの紛争被害者支援ユニットで働いていますが、このJICAプロジェクトの直接の担当者です。この町でJICAの協力隊員として働いている伊藤さん。町のすべての住民と知り合いのようでまるでアイドルのようにみんなから声を掛けられていました。じつは、岸和田出身のコテコテの関西人であることが判明。レイディは2月に日本に研修に行くことが決まっていて、メインストリームにも行くことになっています。伊藤さん直伝の関西弁も特訓中なので来たらみんなで試してみようね。


キブドー教会の内部


2015年9月27日日曜日

コロンビア出張編(5)


月曜日のエルカルメンデチュクリでの研修の翌日、山ちゃんやカウンターパートのレイディさんはそのまま金曜日まで研修を続けていたのですが、奥平さんとぼくは一足先にブカラマンガへ。朝8時に再び5時間の道のりを戻っていきました。

この日はブカラマンガで、ヘンリーという脊椎損傷の障害者団体の代表と話しをする予定で、約束の2時に一時間ほど前に着いたので食事をして、写真のファン・バルデスのカフェテリアで待っていました。写真は右からマリアデルピラールさん、この日の会談相手ヘンリー、彼の協力者で理学療法士のオルガさん、通訳のルイス・ミゲル、マリアデルピラールさんの大学の仲間で、バリアフリーを研究しているという男性(名前忘れちゃいました)です。

このプロジェクトはメデジンに近いグラナダと、ブカラマンガと同じサンタンデール県にあるエルカルメンデチュクリと2つのサイトを対象に紛争被害者である障害者を支援していくものであります。現在そのそれぞれのサイトで細かく障害者を探してリストにしていることはすでにお伝えしました。プロジェクトでは、このサイトで当事者団体を作って、ピアサポート的な手法でエンパワメントしていき、最終的にここの障害者の自己肯定感が高まるという風に計画されています。しかしながら、現在半年経ったプロジェクト関係者の感触として、想像以上に障害者の数が少ない、とくに紛争で身体に障害を負った人たちは、メデジンやブカラマンガの大きな病院で治療を受け、そのまま帰ってこないことが多いので、さらに数が少なくなっている、などという問題が出てきており、このサイト内で団体設立はむつかしいと考えられ始めています。


向こう側ブカラマンガ〜エルカルメンを往復してくれたダニエル。
奥平さんたちは、そこでサイトに近く県庁所在地でもあるメデジン、ブカラマンガに団体を作って支援をし、そこの障害者をとおして、2つのサイトの障害者をケアしていこうという方針に転換していくことを考えています。この出張編(3)で会ったヘルマンや今回のヘンリーは奥平さんがこれまで会った障害者の中でもリーダー候補として有望な人で、そこからまた彼らの知っている障害者に声をかけてもらい、まずリーダー養成研修を行い、その後はさらに広く障害者を募ってもっと大きな規模のセミナーを開こうという計画になっています。

今回コロンビアに来て何となくこの国の障害者運動の大まかな構図というのが見えてきました。大統領府にはファン・パブロ・サラサールという頸椎損傷の当事者が障害者インクルージョンの担当としているのを初めとして、ボゴタにはアイデーのグループがあり、メデジンのヘルマン、ブカラマンガにはヘンリーがいます。ちなににメインストリームで研修したオマールもブカラマンガ出身で現在ここにいるということです。今回は会えなかったですが。カリにはアンドレス・イギータとモントーヤもいて、全国的にそこそこ障害者運動をやっているリーダーたちがいるということ、彼らが、国連の障害者権利条約を国に遵守させるよう要求するネットワークを作っていることなども分かってきました。コロンビアではすでに権利条約を国内法に適応しないといけないということを記した1618号法というのも存在して、彼らはこれをもとに交渉を行っています。

ただ奥平さんの目から見て、そのリーダーたちがみんなばらばらで活動しているのが問題で、そうした状況をよくないと思いながらもこちらのリーダーたちも認めてしまっています。これからの流れですが、先に書いたような研修をつづけて、できるだけ奥平さんのできることをやってもらってその後2月に廉田+メインストリーム協会メンバーが、本格的に自立生活運動の考え方を障害者と政府関係者に伝える。来年度さらにこれを全国的に拡げていき、できればKaloieのときのように日本での地域研修にまで繋げていきたいと思っているのですが、ここまではまだはっきりしたことは言えません。


法律を書いた研修用の冊子を奥平さんに献本中

ヘンリーの話では、一般の障害者に対する施策がほぼゼロに近いので、みんなむしろ紛争被害者になりたがっており、その方が優先的に住居をもらえたり、補償金がもらえたりするので、嘘をついてなる人もいるそうです。紛争被害障害者の一般社会への復帰をめざすこのプロジェクトですが、むしろ紛争被害障害者になる人の方が多いという倒錯した状況もあって、かなり複雑なことになっているのですが、方向性としては安心して普通の障害者として暮らせるように国全体の障害者施策の向上を狙っていくというごく当たり前の戦略を取らざるを得ないのが、ぼくもそうですがプロジェクトが今考えていることのようです。

2015年9月24日木曜日

コロンビア出張編(4)


ちょっと時間が空いてしまいましたが、日曜日からこのコロンビアのプロジェクトの本当の対象地域であるエルカルメンデチュクリに行ってきました。メデジンから定員25名ほどの小型飛行機に乗ってまずブカラマンガというベネズエラに近い町まで。そこから車に乗りかえて5時間行ったところにあります。

このプロジェクトは障害者の支援なのですが、その中でも50年間続いてきた政府とゲリラの内戦によって障害を負った障害者を対象にしています(めでたく昨日キューバでこの2年あまり続けられてきた和平交渉が合意に達しました)。プロジェクトではこのエルカルメンデチュクリとメデジンに近いグラナダという二つの町をサイトにしています。現在はこの二つの町でもともとあるリストを元に障害者がどれだけいるか、そのうち紛争で被害を受けた障害者がどれだけいるかを一軒一軒足を運びながらデータ化する作業を終えようとしているところです。

今回の訪問の目的は、これからこれでできた障害者のリストに上がった人たちにアンケートをしていくのですが、その調査員の候補者に対する研修が一週間あり、奥平さんはその中でソーシャルインクルーションについて講義を任されていました。



ちょっとこの日は、まだこのあたりに敷設したままになっている地雷についての知識や注意点を講義するためにボゴタとインターネットを繋いで行う作業がうまくいかず、奥平さんの講義の時間がかなり大幅に縮小しなくてはならなくなり、多少年燃焼不足なところはあったのですが、それでも当事者が話すことでこの日のメニューでは一番盛りあがってました。


















この日は他に、結局延期になった地雷についてのレクチャーと、紛争被害者支援ユニットの担当者が行うインタビューの際に心がけなければならない配慮注意点のレクチャー、上の写真はブカラマンガの大学の先生マリア・デル・ピラールさんによる障害種別のレクチャーなどがありました。マリア・デル・ピラールさんとはぼくはすでにボゴタのメンバーを通じてネット上では知り合いになっていたのですがやっと実物に会うことができました。



















その他、3月にメインストリームに来てくれた専門家の山ちゃん。プロジェクト実施と同時にエルカルメンにボランティアに入った伊藤さん、カウンターパートである紛争被害者支援ユニットでプロジェクトの直接の担当者になったレイディーさんなど、このプロジェクトに関わっている人とも会うことができました。


2015年9月16日水曜日

コロンビア出張編(3)


さて、今朝「コロンビア出張編(2)」を書いてアップした後、午後からアミーゴス協会という団体に奥平さんがここメデジンでリーダー候補として目を付けているヘルマンという男の人に会いに行ってきました。

奥平さんは常々コロンビアで障害者運動するのはむつかしいじゃないかと仰っていたので、あまり期待せずに行ったのですが、いい意味で裏切られた結果になりました。ヘルマンは現在37歳、受傷して20年の脊椎損傷です。アミーゴス協会は障害者の当事者団体ではなく、健常者が障害者の支援のために設立した団体ですが、リハビリも提供するメデジンでは一番大きな障害者関係の団体です。ヘルマンはここであるプロジェクトに関わっている間雇用されるような形で所属しているらしいのですが、基本はフリーランスで障害者の権利やアクセスの問題について講義をしたりしているとのことでした。



奥平さんはすでに何回か会っていい感触を持っているようで、今回の訪問は来月リーダー育成のためのセミナーをするので、ヘルマンを含め何人か集めてセミナーに連れてきてほしいと依頼をすることでした。合計10名ほどのセミナーでヘルマンには5人ほど集めてほしいと依頼をしました。この中から、日本に送る障害当事者を選ぶことになるということでした。

2時間ほどの面会で、これだけでどういう人物かを判断するのはできないのですが、ぼくの第一印象もとてもいいものでした。柔らかい話し方をする人で、人として素直な感じがしました。すでに活動家としてコロンビア全体にネットワークを持っていることや、メデジンでも自立法に類した法律が地方レベルで議論されているらしく、それを障害者の立場から意見を挟むネットワークにも所属していることなど、話しからすでに障害者運動が彼の日常になっていることがよく覗えました。

奥平さんの側からは、次回のセミナーの参加依頼と、その後それを元に作ったグループでもっと大きいセミナーを共同で開催したい。将来的にはそのファシリテーターを任せることも考えたい。そしてそのグループが自立生活センターを作るところまで行ってくれれば嬉しいつ伝えました。



















コロンビアで障害者運動がむつかしいと言われる理由の一つには、みんながリーダーになりたがって、それに従う人がおらず結局みんな一匹狼で活動しているからということがあります。ヘルマンもそうなのですが、こちら側からは、組織の運営のサポートもできるので、ぜひ組織だって交渉できるような団体を作ることをやってほしいなどと伝えました。

今週末からはブカラマンガという町に行き、別な障害当事者にインタビューをしにいくことになっているのですが、ヘンリーというその男性ともすでに一緒に活動しており、一番やりやすい仲間であると言っていました。

お伝えしたようにボゴタにすでにグループができつつあり、奥平さんのプロジェクトを中心にメデジンとブカラマンガに団体ができると、コロンビアの自立生活運動は一気に進む可能性が見えてきました。何だかそういうことを想像しながら奥平さんの通訳をしていると、それだけでわくわくして嬉しい気持ちになって来ました。めちゃくちゃ楽しい一時でした。


コロンビア出張編(2)


月曜日の夜にここメデジンに到着しました。現在奥平さん宅にお世話になっています。毎晩ワインいただいてますね笑。

さて、こちらに来てからは、他のプロジェクトの職員の方々は地方に出張中であったりして、ずっと奥平さんと情報交換をしているだけなので、まだあまりこれといった出来事はありません。



奥平さんとっても素敵なマンションに住んでおられて、ベッドは大きいし部屋にバストイレ付きで、メデジンの気候の良さも相まってこちらに来て生き返ったような気分です。














良知さんもブログで報告してくれていた、車椅子タクシーでの出勤風景です。職場のすぐ近くは広場になっていてフェルナンド・ボテロというコロンビアの有名な画家の美術館になっています。まだ行っていないですが帰るまでに行ってみたいです。


奥平さんとの話の内容ですが、ボゴタのグループの印象から始まって、こちらのプロジェクトの進行の様子など、様々なことを話しています。

ざっと大ざっぱに説明しておくと、このプロジェクトには対象になる地域が2つあります。エルカルメン・デ・チュクリという町とグラナダという町で共に人口数万人の小さな町でそれぞれ、ブカラマンガという町とここメデジンという大きな町のそばにあります。

元々のプロジェクトの計画では、そのプロジェクトの対象地域の小さな町で障害当事者を探して支援のできるグループを作っていき、ゆくゆくは自立生活まで持って行ければというものでした。このプロジェクトは4月に始まっており約半年たった実情は、町の規模から行ってもその町でリーダーになるような障害者を見つけることは困難で、これからそのブカラマンガとメデジンを中心に当事者グループを育成していく方向にやや転換していくことになりそうということでした。ということで、ボゴタのグループをプロジェクトで直接サポートすることは難しい様子でした。

今後このプロジェクトを中心としてメインストリーム協会やモルフォと協力してやれることを探るというのが今回の訪問の目的ですが、いくつかこちらから提案していることを書いておきます。まだはっきりやれるかどうかは分からないですが、感触は悪くなかったです。

1)このプロジェクトからの研修団を派遣する。当事者を3人とこちらのカウンターパートである紛争被害者補償ユニットの責任者の方を日本に派遣して研修してもらうのですが、その中の研修先にメインストリームが入っています。これは今年度中に実施される予定です。


2)廉田及びメインストリーム協会メンバーによる自立生活セミナー。ボゴタ、メデジンで開催し、プロジェクトサイトであるグラナダを訪問する。来年2月のコスタリカ訪問に絡めてできないか調整中です。

3)こちらのプロジェクトの方にモルフォを視察してもらう。日本まで行かなくても自立生活センターがどんなものか一見してわかってもらうことができます。これは来年度以降になりそうです。

奥平さんは今後ご自身で障害者の研修をしていく計画だそうで、その中でボゴタのグループのフォローもお願いしておきました。さらに今回カリの研修生たちのところには行けなかったので、今度行ったときには会えるようにセッティングしようと考えています。


2015年9月13日日曜日

コロンビア出張編(1)


現在朝の10時ぼくはコロンビアの首都ボゴタにいます。
金曜日の午後について、これから25日までコロンビアに滞在します。明日の朝には元リハビリテーション協議会の奥平さんが働いているメデジンに移動することになっています。今回の目的は1)ボゴタで自立生活運動を始めたばかりのグループがどんか活動をしているか見に行く2)奥平さんが働いているJICAの紛争被害者の社会復帰促進のプロジェクトを見学する3)チョコーという太平洋岸の黒人が多く住む地域に旅行に行く、とまあおおざっぱに3つの目的で来ました。

ぼくがコロンビアに来るのはこれで人生で3回目になります。じつは昨年ボリビアに行った帰りに乗り換えで一瞬空港に降りたのですが、それは入国してないのでカウントしないとするとその前は、じつに23年前になります。それはチリで勉強していた帰りにメキシコを経由するので便の都合で、一泊ボゴタに宿泊するというものでそれも一瞬でした。その前が初めて南米を旅行したときで1988年1月のことでした。バランキージャというカリブ海岸の町からバスでボゴタに到着したのですが、もう変わっているのかどうなのかも分からないくらいの昔ですね。人が親切だったという記憶だけはずっと残っていて、今回の短い滞在でもそれは変わっていませんでした。


さて、では早速昨日ボゴタの自立生活運動グループと会いに脳性麻痺の障害者アイデーの家に行ってきたので、その報告をします。アイデー(Aydee Ramirez)とは、今年の初めくらいだったか、モルフォに自立生活運動について教えてほしいというメールが来たのがきっかけで知り合いました。日本で研修した人がどれだけいるかというような内容だったので、ぼくが対応してやりとりを始めました。

彼女とやりとりしているうちに少しずつコロンビアの障害者運動の中身が分かって来ました。まず、これまで日本で研修を受けた人たちはあまり積極的には自立生活運動の活動をやっていない。これはある程度ぼくも分かってはいたことですが、あらためて知らされた感じでした。

その一方、障害当事者も入ったグループが、コスタリカの自立法に似た障害者に対する介助派遣を含んだ法律を用意しているとのことで、それはすでに立法府の議員に手渡され、現在修正中である。それには、現在大統領府の障害者施策のアドバイザーとしてファン・パブロ・サラサールというコロンビアで一番大きな障害者支援団体の代表だった人物が入っており、彼の意向が入っているとのことでした。

アイデーたちのグループはこの法律を元にして、JICAの支援を受け自立生活センターを設立したいという考えを持って活動をしようとしていました。

















ぼくの方からは、法律ができるのはいいことなので、それはそれでいいとして、何もないところで法律だけできることは考えにくいから、ボランティアでもいいので障害者が介助を使って生活している実態を少しずつでも作って行ってほうがいい。JICAの支援を得るためには、彼女らだけでなく、日本で自立生活の研修を受けた人を交えていった方が受け入れられやすいだろうなどを伝え、彼女らは実際そうして、JICAとコンタクトを取って話しを聞いてもらうことができました。4月から赴任した奥平さんとも面会する機会も持てました。

ここまでがこれまでのおおざっぱな流れでした。ぼくの目からはアイデーはこれまでの誰よりも自立生活運動を必要としていて熱心に進めていこうとしている人材に見え、何か力になりたいと思って来ました。ただ、心配があったとすれば彼女の周囲の人がどんな人たちでまとまってグループとして活動していけそうなのかという点でした。

会合はいつもアイデーの家で行われているようで、昨日もそうでした。アイデーの家はボゴタの北の端のサン・アントニオ・ノルテという地域にあります。ボゴタは巨大な町で、町の中心からここまで来るのに約1時間ほどかかり、逆の端まで行くのには2時間かかるそうです。

バスで来た方が安くつくと言われたのですが、着いたばかりのぼくには複雑すぎてシステムが理解できず、ホテルの人に訊いてもタクシーで行った方がいいと言われたので、タクシーで行くことにしました。それでも40分ほどかかったでしょうか。10時の約束の少し前に到着することができました。

アイデーの家は日本でいう団地の一室。どちらかというと質素な家庭でお母さんと二人で生活しています。この日集まってくれたのは、アイデーとフリアンという受傷12年の頸椎損傷の男性、それに支援者としてナンシーという看護士をしている女性と、日本にも介助者としてきたホルヘ・アルマンドさんです。さらに午後からファニーというソーシャルワーカーをしている全盲の女の子が加わりました。アイデーの団体で理事をしているのはあと一人この日は来れなかった女性がいるそうで、障害者のメンバーが現在計4名の団体です。


到着してから、お母さんが作ってくれた昼食を挟んで夕方5時過ぎまでずっとしゃべりっぱなしで、メモを取る暇もなかったのですが、だいたいコロンビアの障害者の実態を知ることができました。

コロンビアは長い間内戦を続けていて、国は疲弊してはいますがここ数年は経済発展もしており町は急激にモダンに変化しています。帰りにフリアンの家族の車で送ってもらっているときにも前の方に、「ほら今ラテンアメリカで一番高いビルを作っているんだ」みたいなことが色々話されていました。

しかしながら、そうしたところからの恩恵は障害者にはほぼ行っていないようでした。障害者の年金の制度はいまだ存在せず、障害者の面倒はほぼ家族の責任となっている。さらに、「ヘルパー」と呼ばれるあたかも職業があるように言われているのですがそれは、実質は家族の事に他ならないということです。

さらに、他の国にはある例えばコスタリカのCONAPDISのような機関がコロンビアには存在せず、管轄はほぼ保健省など医療系の機関が行っている。なので仮にファン・パブロ・サラサールのいる大統領府主導で、障害者のモデルを医療モデルから社会モデルに変えようとしても、それを実際に施行していける機関が存在しないという怖れがあります。

今回コスタリカに来てから、奥平さんとも何度かメールをやり取りしているのですが、その中でコロンビアで障害者運動を始めるのは難しいのではないかと漏らされていたのが、このあたりの理由にもよるのだろうなと思って聞いていました。

それでも、メンバーはとてもみんな熱心で、質問はどんどん来るし、逆にぼくの方も家訓したいことがたくさんあるので、時間はあっという間に過ぎて行きました。そうした間に、もうこのグループに対する愛情のようなもんが沸いてきていて、なんとか力になりたいもんだと思って帰って来ました。

それは、この中で実際に日本で研修を受けたことがあるのはホルヘ・アルマンドさんだけなのに色々分からないことがある中、熱心に知ろうとしてくれ、何となく感触にしか過ぎないのですが、ナンシーとホルヘ・アルマンドの健常者も含めて、この活動が本当に必要であると考えていて、やっていきたいというのはしっかり伝わって来ていたからです。それと、頸損のフリアンとはこれまであまりやり取りがなかったのですが、いい青年で真面目でいい人材だなと思いました。遅れてきたファニーもとても興味を持ってくれたようで、明るくムードメーカー的なところがあって、何だか一緒にいて楽しいいいグループだなという印象でした。

たしかにJICAの技術プロジェクトも始まり支援は受けやすい環境ではあるとは思いますが、プロジェクトの目的とは直接つながりはなく、それをあてにしてばかりいてはいけないことや、自分でJICAなどに行ってみてたとえばモルフォを見学できるような支援ができないかどうか訊ねてみたりしてみてほしいこと、JICAや日本の支援だけでなくAblilisなどその他の国の支援団体にもあたってみてほしいこと、もっと外に出て積極的に活動を広めてほしいことなどを伝えて帰りました。

上に書いたような状況で、実際今すぐできる活動はあまりなく資金がなければ色々むつかしいことばかりなのは分かっていますが、最後にこの活動はやっていく甲斐があるもんだろうか?って訊かれたのでここでそれ?って思いながら、ここでやめたら現状は今のままだし、つづけていたらそれでも何かになってると思うと、佐藤さんがいつも言っていた言葉を残して帰って来た次第です。

何ともまだ分からないけれど、でも何か始まりそうな雰囲気。ちょっとわくわくしてとっても充実した一日でした。


2015年9月3日木曜日

点字ブロック


昨日は午後ずっと雨で、みんな寒いって言うくらいだったのですが、今日は打って変わっての晴天。しかし暑すぎず爽やかなくらいです。

昨日ルイスがモルフォのフィエスブックページにある記事を載せたらそれがもの凄い反響を呼んでるんですね。



これはアクセスを示したグラフなんですが、昨日だけ急に盛りあがってるのがわかります。ざっと普段の一千倍ですが、ぼくらはときどき自立法など広めたいことがあればお金を払って宣伝することもありますが、それでもこんなにアクセスは増えません。これは自然に口コミで拡がって行ったものなので凄いです。フェイスブックの威力を初めて間近にみた気がしました。

さて、ルイスが何を載せたかというと、サンイシドロの目抜き通りの歩道にできた点字ブロックを写真入りで記事にしたんですね。この通りが段差をなくしバリアフリーにしたということは聞いていたのですが、点字ブロックのことは知らず、ちょうどいい機会だったので見に行ってきました。ちなみにスペイン語では点字ブロックをloseta guiaというそうです。

















これがちょうど市役所の西側の壁になります。ここから南に向かっての歩道はすべてスロープがついてバリアフリーになって、ここにも見える点字ブロックもそれに沿ってつづいていきます。実際のところこの通りより、もう一つ西にあるバスターミナルのある通りの方が人の利用頻度は高くバリアフリーにする価値も高くなると思いますが、まあ象徴的な意味も込めてまず最初としてはよかったのではないでしょうか。コスタリカでここまでちゃんとした歩道になっているのはまだここだけだと思います。


ちょうど全体の中間地点。ルイスが紹介したのと同じメガスーペル前です。






そしてここが南の端です。事務所近くの病院の前ですが、残念ながら病院の前までは行っていません。

それで、なぜそんなにアクセスが急に増えたかというと、コスタリカではまだ点字ブロックなど誰も見たことがないらしいです。記事のコメント見ても「へー!知らなかった!教えてくれてありがとう!」みたいなのが連発しています。

自立法もそうですが、Kaloie時代も含めて多くの人たちが、ずっと声を上げながら、時々それでも変わらない状況にうんざりもして、そうして訴えてきたことがようやく目に見える形になりつつあるのがちょうど今で、色々感慨深いです。

2015年9月2日水曜日

スタッフ会議と政治の季節


今朝はスタッフ会議がありました。朝9時ちょうどに始まった午前中いっぱいやってる感じです。前回が7月28日だったので、ほぼ一ヶ月に一回というのが最近のペースみたいです。

今日の議題は今回までにあったことの報告と、来年1月に交代するコーディネーターについて、自立法に対する行動方針などでした。

まずコーディネーターですが、男子はリオスで決まり。女子はカテリン、ジルラニ、カロリーナから選ぶ感じですが、来年やる女子コーディネーターはウェンディといっしょに日本の研修にも同行するので、最初は年開けたら3ヶ月毎に体験させるということだったのですが、年内にそれぞれ研修してみて、その中か選んで年明けからはその人が正式にコーディネーターとして働くことに決まりました。

さて、自立法ですが、現在Plazo cuatrienalという、直訳すると4年間の期間というのに一旦入っています。一旦委員会に戻されているので、その間いわば凍結状態になっています。国会のホームページを検索してももうこの17305号法案は出てこないので、大丈夫なのかなと思ってたのですが、これは議員の発議で多数決があればまた戻せるそうです。ちょっとこれは国会内の技術的な問題のようなので、よく理解できていないのですが、そのようなもんだそうです。



お伝えしていたように、法案は9日に委員会に戻り修正してから17日に本会議に戻ってきます。今日の会議でこの17日に国会で大行動を呼びかけることになりました。目標は国会を取り囲んで人間の鎖を作れるくらいの人を集めることです。こちらではAbrazar la asamblea(国会を抱きしめる)と言っています。こっちの方がいい表現ですね。写真はその準備の担当を決めているところです。いよいよ決戦です。




午後は、来年2月にある地方議会選挙で市会議員に立候補する人たちが障害者政策についてのアドバイスをもらいに来所しています。今日の会議でも年末か年明けに立候補予定者を集めてシンポジウムをやることも決まったので、ちょうどいいタイミングでした。

2015年9月1日火曜日

日常


さて、今日から9月なのですが、雨期も深まって来ていて雨が降ると降り方が半端ではないです。コスタリカらしい食べ物がいくつかあるのですが、この時期になると出てくるのがこのマモン・チーノです。栗みたいですが中はジューシーで甘いレイシに似た果物です。事務所の玄関横に木があるので、今朝はカロリーナが棒を持って落としていました。



奥のスペースでは理事会の会議がありました。アルフォンソ、ホルヘ、ジョナタンのおなじみのメンバーに今日は久しぶりにホセ・ミゲルさんが来ていました。2年目に毎日事務所に来てよくモルフォの活動を手伝ってくれていました。ペレスセレドンはプロジェクトKaloieの時代よりこのモルフォのメンバーの周りに障害者が集まってくるようになっていて、このプロジェクトが始まった頃は毎月第1月曜日にみんなが集まる日にしていて、多いときには50人くらいの障害者やその家族が来ていました。それだけ集まるとうるさいんですが、けっこうそれは壮観でぼくはそれを見ているのが好きでした。

ところが、やはりこれは日本でもよくあることだと思いますが、障害の種類や程度によってだんだん方向性の違いが見えてくるとだんだんといっしょにやれない時期が来ます。ここによく集まって来る人たちは障害がそれほど重くない人が多かったので、障害者が仕事を手に入れることによって社会参加することに向かうようになりました。このプロジェクト2年目くらいから、そうした人たちが集まって準備会を始めるようになってモルフォはその場所を提供したりもしました。昨年正式に法人格も取って団体を立ち上げたので、だんだんとモルフォからも足が遠のき、現在はほとんど誰もやって来なくなりました。

残ったのは障害が重くて仕事を見つけるのが無理なような人たちでそれはそれで、自立生活センターの目的に沿ったメンバーが残ったということで分かりやすくなってよかったですね。ただ、その就労支援の団体に行った人たちの中でも、行ってみたかれどそれで仕事が見つかりそうもないしちょっと違ったかなという人たちが近頃少しずつモルフォに戻ってきているような状況です。ホセ・ミゲルさんもその一人ですね。


















雨がたくさん降ると急激に気温が下がるので、最近は風邪をひいている人が多いです。ぼくは一足先にひいたのですが、まだちょっと完調とは言えない感じです。今日はカルロスが休み、ウェンディもきのうずっとくしゃみをしていて今日は変な声です。みんな国会行ってハードワークだったのでその影響もあるのかと思われます。ここはちょっとゆっくりしてほしいですね。