2015年12月21日月曜日

フットボール


週が明けて月曜日です。町は完全にクリスマス休暇モードで、モルフォも先週金曜日が仕事納めで、ルイスやウェンディなど地方から出てきている人たちは週末のうちに実家に帰りました。

ぼくはまだ精算の作業が少し残っているのと、今日はICEというちょうど日本でいうとNTTのような会社がペレスセレドンにコールセンターを作るということでそこで雇う障害者を面接するために事務所を貸しています。マルセラとジャクリーン、マタと地元の人たちもそのため管理のために事務所に出てきています。写真も撮ろうかなと思ったのですが、ちょっとみんな真剣そうなのでやめておきました。

ペレスセレドンはもともと障害の種類も程度も関係なくざっと50人くらいの障害者がひとつの大きなグループを作っていました。一昨年頃からその中で比較的軽度な身体障害者が中心に就労を中心とした社会参加を要求していく団体を作る準備を始め、昨年完全に分離してしまいました。一度に50人ほどが集まると壮観だったのですが、多くの人がそちらの団体へ行ってしまったため最近は少し寂しい感じがしないわけではなかったです。

それでも、そもそもモルフォには自立生活運動という目標があり、全員がその旗の下に集まれるかと言えばそうでもなかったし、モルフォの活動に刺激を受け、ノウハウを学びながら新たな団体ができることはいいことだと思いました。そうしてその団体はちゃんと法人格も取れ労働省とも交渉したりしながら活動を始めました。

コールセンターはもともとそっちのグループが中心にやっていてそれが地元にニュースにもなっていたので、ウェンディに来週事務所来る?って訊かれこの話しを聞いたときに、「でもそれって後々ややこしいことにならない?」ってウェンディに逆に尋ねたときの彼女の悪そうな顔を見せたかったですね笑。

そりゃそうですね。団体ができる前は休みの日に来て事務所開けて会議の場所を提供したりして色々協力したのに、できたらまったく寄りつかないし、それどころかメンバーの引き抜きみたいなことまでするので、あの温厚なルイスですら怒るくらいでした。昔から関わりのあるラウラという皮膚があざのようになる障害がある女性がいるのですが、どこか役所に提出する書類を作らないといけないけれど自分ではできないのでサポートを頼んで来たことがありました。一日インタビューして書類作るのにまた一日といったけっこうな仕事で、ぼくはその前後ルイスがとても忙しいのを知っていたのもあって、それこそそのおおぜいとともに去って行った人なので、「そんなのあっちのグループの人にやってもらったらいいじゃん」って言ったら、「いやこれもぼくらがやらないといけない仕事なんだよ」って。なんて偉い人なんだろうって思いました。ラウラはその後ちょくちょくまた来てくれるようになりました。

こういう話しはなかなか報告書に入れたりするのはむつかしく、表面に出にくいことなんですが、こういうことがあるからこそ、モルフォというのは素敵な団体になっていると思うんですね。



さて、上の写真は土曜日のものです。モルフォの介助者の人たちがサッカーをやるというので、観に行って来ました。



お昼ご飯を食べ終わって、みんなと待ち合わせ市場のあたりの坂を上って民家の間の通りを進んでいくと倉庫のような建物があり、入るとコートが。こんなところにあったんだという場所でした。

















男の子5人にカロリーナとジルラニ、それとカロリーナの妹も参加しました。ジルラニ以外はちゃんとみんなサッカーシューズを持っているのがまずすごいなーと思いました。男女混合のチームで始まったのですが、みんな久しぶりのようだったしこのメンバーでやるの少なくとも初めてだったのですが、なんかすごく上手なのにびっくりしました。


ちゃんとうまい人が自分で持っていけそうだったら走るし、無理だったらちゃんと左右に振って誰かがアシストしてゴールまで持っていくようなどのシュートもちゃんと形になっているのがすごかったですね。

よく日本のサッカーが語られるときに文化的な土壌みたいなことが言われたりしますけど、これはやっぱり違うような〜ってあらためて思いました。この日は何人来るかもはっきりしてなくて途中でカロリーナの妹がリタイアしたりアクシデントがあったのですが、その都度あるもので何とかやってしまうのが素晴らしいなと思いました。こないだのコロンビアの介助者研修のときでも、2日目ファニーが来るのが遅れたとき、ぼくのような日本人はどうしても最初に立てた計画どおりにできるだけ戻そうとするんですけど、彼らは臨機応変に起こった状況に対応しながらなんとなく形にするのでちょっと感心して見ていました。やはりサッカーにも共通するそういうラテンの国民性を感じた週末でした。



2015年12月17日木曜日

忘年会


さて、昨夜は仕事が終わった後忘年会でした。
去年も同じタイトルで一年の仕事が終わった後ブログを書いているのですが、そこで写っているマリクルースが抜けたり、一日かけてチチャロンを作ってくれていたホセ・ベネガスが抜けたり、介助者の入れ替わりがここのところ激しかったのが写真を見返してみてもよくわかります。

それに代わって障害者メンバーに新しい顔ぶれが増えたり、一見かなり変化のあった一年ではあったのですが、それでもモルフォというアイデンティティは変わらずちゃんときっちり保ってあるという、これが団体を作るっていうことなんだな、とあらためてここで学んでいるような気がします。


昨夜はパーティーが始まる前にまず、いつものようにルイスから一年の感謝の言葉があって、その後来年からのコーディネーターの交代の発表がありました。モルフォは最初3ヶ月交替でお試しのような形でコーディネーターの役割を回していたのですが、2014年から一年きっちりやる形に変えて、デレとグスタボはそれからまる2年間コーディネーターをやってくれました。

デレはそれまでモルフォの活動にはそれほど関心を持っているようには見えなかったのですが、ルイスが代表になった後、まるで別人になったかのように積極的に彼を支えて事務所の裏方をやっていました。旧事務所でみんなが放っていたパーティーの後片付けなど一人でもくもくとやっていた姿を思い出します。

グスタボはエリエセルと行った日本の研修から帰った後で、モチベーションも高く日本で学んだことは全部こちらで定着させたのではないでしょうか。エクセルを駆使して作った請求システムも含めて、事務所の安定化の功労者です。ぼくは個人的に困ったときに色々助けてもらっていたので、感謝しているしちょっとうるっと来ましたね。

新しくコーディネーターになるリオスは、コーディネーターとしては初めてですが、もうすでに介助者として経験は積んでいるし、いつでも事務所にいてすでにスタッフのようにして働いてくれているので十分やってくれると思います。カテリンが最初お試しで3ヶ月やったとき、年末ウェンディの帰省に同行する介助者がいなく、じゃあ私が行くってクリスマス年末年始と自分の事は後回しにしてウェンディとグァナカステで過ごしました。ウェンディはカテリンを評価するときに、今もこの話をよくするしぼくも、モルフォの人が自立生活センターの仕事を理解してくれた最初の実例としていまだに忘れられないことです。
















パーティはいつものように音楽が流れ、踊る人がいて、カラオケがあって、歌う人がいて、その後クリスマスらしくプレゼントが配られました。



今は日本7ヶ月コスタリカ5ヶ月くらいの割合で過ごしているので、実際はこっちで過ごす時間の方が少ないのですが、日本にいると年末年始も普通に介助の仕事があるし、あまり一年が終わったような感慨を覚えることはなく、こちらは地方から出てきている人は帰って完全に事務所も閉まってしまうので、日本にいるときよりしっとりとああ一年が終わったな〜と感じます。

ぼくはまだ精算の仕事を残しているので来週もまだ少し仕事して帰りますけどね。

2015年12月15日火曜日

年間活動報告など


さて、今回は11月25日にコスタリカ入りし、ペレスに移動したらすぐに週末にかかっったので、翌週月曜日1日出勤してすぐにコロンビアという日程で、帰って来てもその週は金曜日1日出勤したらまた週末ということで、やっと今週から腰を落ち着けてモルフォで働いています。といっても今週一週間で今年のモルフォの仕事も終わりなんですけどもね。

昨日は、朝からモルフォの理事会や会員の人を招いて会議がありました。よく関わってくれているホルヘやフランシスコ、アルフォンソの他に、昔から地元の障害者グループのメンバーであるラウラや久しぶりにアイーダも来ていました。

この日は、週末にみんなでビーチに行って交流することの打ち合わせがおもな議題だったのですが、後でルイスに聞くと今年一年の活動報告もやったそうです。プロジェクトの目標と進展具合、それに予算も公開してどんな使われ方をしているかも説明したということでした。

これは、PDMというプロジェクトの設計図のような書類があるのですが、その中でやらなければいけない活動の一つとしてあげられているもので、組織づくりの土台からひとつひとつ積み重ねてきてやっとここまで来たかとちょっと感慨深いものがありました。自前の予算で運営できていないというだけで、自立生活センターとしてはもうどこに出しても恥ずかしくないような立派なセンターになったと思います。




12月6日には資金集めのためのマラソン大会をオーガナイズして、175人の参加者でした。好評で大成功だったということでした。センターとしてはもう完全に独り立ちしていると言ってよく、ぼくが口を出す場面はどんどん少なくなっています。ぼくは、JICAに提出する領収書の整理と、これらの活動を報告書に纏めることがおもな仕事ですが、先日のコロンビアでの介助者研修もそうですが、モルフォの仲間たちがコントロールできない部分をフォローするのが仕事のようにもなっています。

そうしたものの一つが、今計画中の「コスタリカでの車椅子の普及プロジェクト」です。先月廉田さんと東京で斎藤工房さんにお邪魔して、コスタリカへの視察訪問を依頼してきたので、その報告ともう少し具体的に内容を進めていくために、土曜日にサンホセの技術者のグループに来てもらって話しをしました。朝8時からの会議で彼らは車で来たので、5時くらいの出発だったのでしょうか。この視察は2月に計画しているのですが、斎藤さんがパキスタンなどでされている活動を紹介したり、逆にこちら側で希望していることなどを訊きながら一週間程度の日程を作りました。

コロンビアでの活動も、この車椅子の企画も2017年にこのモルフォプロジェクトが終わった後にも関わってくる計画で、なんとなく色々探りながら動いている感じです。うまくいくといいんですけどね。


2015年12月7日月曜日

コロンビア出張編(7)介助者研修


こんにちは。今ぼくはコロンビアの首都ボゴタにいます。9月に来たばかりなのですが、3ヶ月開けてまた来ました。

今回の目的は、12月3日の国際障害者の日にあわせてボゴタのグループが何かやると聞いていたのでそれをちょっと見たかったのと、前回うまく予定が合わなくて会えなかったここにいる友だちに会うこと。それとせっかくなのでまたメデジンに行って奥平さんに会って帰ろうかなって思っていました。

先月計画を立て始めた頃奥平さんにご都合を伺ったところお忙しそうだったので、今回はメデジンを訪問するのは諦めました。それでも飛行機は一週間の滞在ですでに押さえてあるし、アイデーのグループと会って、タチアナと会ってもぜんぜん時間あるしどうするかな?って思ったんですが、思いついて介助者研修でもやることにしました。

このブログはここで終わっている一連のコロンビア出張編のつづきになるので前回あったことは遡って振り返ってほしいのですが、ボゴタでグループを作ろうとしているアイデーにそのアイデアを話したらぜひやりたいということだったので、その日からメッセージをやり取りしながら計画を具体的にし始めました。

アイデーはすでにウェンディからモルフォで使っている介助関係の資料は全部もらっていたので、その中から参加者に配ってほしいものを言って印刷してもらうようにしました。



ぼくも日本を出る前は、コーヒーを輸入する準備をしながら出発の準備とちょっとばたばたしていたので、飛行機の中でイメージを作りながら最終的にはペレスからサンホセに行くバスで2日間の研修のプログラムを作ってアイデーに送りました。上の写真は、研修の前日3日の日にアイデー宅に行って打ち合わせをしたときの写真で、彼女は研修の修了書を作成中でした。3日にやると言っていた活動は結局他のメンバーとうまく話が纏まらずやらず仕舞いでした。フリアン、ファニー、エレーナという他の理事会メンバーがほとんど活動に参加しないのが、現在アイデーの悩みでもありこのグループの問題でもあります。

エレナさん自分史














介助者研修ですが、本来は最初に障害者のメンバーが行って、自立生活運動の理念を伝えた後それを補完するような位置づけでやるものだと思うので、その順序が前後するのが気になっていました。自立生活運動がどうやって始まって日本や世界に拡がったか、自立生活センターとはどういうものかなどはどうしてもぼくがある程度説明せざるを得ないので、その他の部分はできるだけアイデーがリーダーシップを取って、一般的な介助者研修ではなく彼女が自分や自分の障害のことを考えて、自分自身の介助者を研修することを目的にするような感じでやってほしいことをまず繰り返して伝えました。プログラムは2日間でこんな感じでやることにしました。

1日目
1)アイデーの挨拶
2)タケシ自立生活運動の歴史、日本とコスタリカやボリビアの経験、自立生活センターの役割
3)エレナ(理事の一人ポリオ)の人生と障害について
4)アイデー(代表脳性麻痺)の人生と障害について、コロンビアの障害者の実体について
5)アイデーの介助に焦点を当てた介助者研修

2日目
1)フリアン(副代表頸椎損傷5番)の人生と障害について
2)ファニー(理事の一人視覚障害、病院のケースワーカー)の人生と障害について
3)車椅子研修と視覚障害体験
4)フリアン障害者の権利条約とコロンビアの批准と実体
終了



エレナさんは活動家というよりは、近所に住む障害者のおばちゃんという感じの人なので、自己紹介をしているだけみたいだったですが、アイデーの話しは上手だったです。木村さんと同じように絵を描く障害者で、それでスペインに留学した話しや、そこで知り合った男の子と恋に落ちて男の子がコロンビアまで追っかけてきたこと、最終的にそれに破れたことが、自立生活運動をやりたいというのに繋がっていて面白かったです。


















講義の部分も質問がいっぱい出てよかったのですが、実習の方がこういうのがみんな初めてだったのか、めちゃくちゃ盛りあがってました。研修というにはどれだけ技術が伝わったか分からないですが、最低限腰を痛めないコツはわかってくれたのではないかと思います。


フリアンは初日は大学で用事があって2日目からの参加、ファニーはさらに遅れて2日目の午後からでした。

2日目はフリアンの話しから始まったのですが、フリアンも障害者になって変わったことや障害者の生活がどんなのかをとても上手に話していたと思いました。今は大学院にいて自立生活運動のことを修士論文で書いているらしいですが、アイデーの活動にあまり関わらないのにどうやって論文だけ書くのだろうと疑問に思いながらも、こういう人がちゃんと関わってくれるといいのになとも思っていました。

ほんとうはこの後ファニーの話しを聞いてからみんなで外に出て実習するはずだったのですが、ファニーがなかなか来ないので、みんなで向かいに行きつつ実習に入ることにしました。


無事合流して、フリアンを押す人、車椅子に乗ってみる人、視覚障害を体験する人、視覚障害者を介助する人をそれぞれ体験しながら、アイデーのアパート付近を一周。ファニーの話しとフリアンの権利条約の話しは途中の公園でやることになりました。その後アイデー宅に帰りみんなの感想を聞いて、修了証を渡して無事終了。


昨日も反省会がてらアイデーの家に行って話をして来たのですが、ぼく自身はとても楽しかったしやってよかったと思いました。アイデーもそうなのですがフリアンやファニーがあまり関わってくれなかったのが不満なようでした。

あまり彼らに固執する必要はないのではということは常日頃アイデーには言っているのですが、そうしてしまう気持ちも分からないでもなく、それでも今回の参加者の反応はよくこれからも何かあれば声を掛ければ来てくれそうだったので、もうこんかい研修に来てくれた人と資金集めに何か作って売ったりして活動をはじめればいいんじゃないかということなんかを話していました。ぼくとしてもちょっと種は蒔けた感じはするので、うまく育ててくれるといいかな〜と思います。

今回の参加者は母娘で参加していたのが4組ありました。忘れないようにここに記録しておきますね。
いつもアイデーの活動を手伝ってくれている、ナンシーさんと娘さんのカロリーナ、モニカさんと娘さんのパウラ、マリアさんと娘さんのアレハンドラ、アナさんと娘さんは小さく1日目だけだったのでちょっと名前は忘れちゃいました。娘さんたちは大学生や高校生なのでうまく今後も関わってくれると嬉しいですね。