2016年3月9日水曜日

さいとう工房コスタリカ車椅子視察(3)


さて、18日無事ペレスセレドンでの活動を終えて再びサンホセへ。夜には一週間遅れで到着したメインストリーム協会のメンバーと合流しました。

翌19日にはJICAコスタリカ支所での報告と大使館での表敬訪問がありました。一週間で、ほぼ必要なことはできたような気はしますが、斎藤さんたちには余裕がなく慌ただしい思いをさせたのではなかったでしょうか。

じつは、斎藤さんはかつて40年前に、スポンサーを募って車でロサンゼルスからパナマまで旅行を計画したことがあったそうです。途中で寄り道しすぎてエルサルバドールまでしか行けず、その時の旅行ではコスタリカまでは到達しなかったそうですが、人生の何の因果かこうしてまたはるばる中米に戻ってくることになりました。

モルフォの人たちがとにかくとてもやる気があったので、斎藤さん宇田川さんとも気に入ってくれ、そこにラモンさんやウリセスなどが現れてさらに盛りあがりました。何とかこれからの支援につながったかなと思います。

この夜には、また機上の人に。
おふたりともどうもありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。






2016年3月8日火曜日

さいとう工房コスタリカ車椅子視察(2)


そういうわけで、長旅で到着して頭もぼんやりしたままいきなり仕事に入ったのですが、思ったよりIntegraの人たちの反応がよくなくて大丈夫かな〜と思いながらペレスセレドンに移動でした。

それでも、短いサンホセ滞在で何となくでも分かって来たことがいくつかありました。まずコスタリカでは、Junta Protección Socialという機関が寄付という形で障害者に車椅子を提供するルートが最も一般的に車椅子を手にする手段であるということ。サンホセで回った3つの車椅子を扱う業者がほぼ独占してここの納入していること。アメリカ製の最新式の車椅子を納入したりしていて、こんなものがふつうの程度の障害者に必要なのか?というのもあるということなどでした。おそらく、他に閉じられた市場で他に競争相手もいないので、ほぼ言い値で買い取っていることが想像できました。最初に行ったロカテルにも、7000ドルするイタリア製の手動車椅子が置いてあり、聞くと国立リハビリセンターが買う予定で寄付に回されるということでした。



さて、気を取り直してMUSOCに乗ってペレスへ。16日は夜歓迎会のみで翌日のセミナーに備えました。

17日は午前中斎藤さんのパキスタンでの活動をお話しいただいてその後こちらの車椅子事情などの情報交換。モルフォ以外にも興味のある障害者に人に来てもらっていました。
















午後は、実践編として実際にモルフォで異常のある車椅子を分解して説明しながら直してもらおうということになりました。


まず、モーターに異常音がするエリエセルの車椅子から。「ふつうここまでやらない」と笑いながら宇田川さんどんどん分解。最後にはご覧のようにモーターの中まで開けちゃいました。原因は長年使っていたためカーボンが擦れて粉になって詰まっていたため。掃除して、ちょっと補強して元に戻すとちゃんと動くようになりました。


つぎに、モルフォで多いIMASENの車椅子。バッテリーが特殊なのでコスタリカ仕様にして手に入りやすいバッテリーを使えるようする改造の仕方を伝授。

















モルフォとは開所当初からお世話になっている自転車屋さんのラモンと今日初めて来るウリセスという青年が技術者の立場から参加していて、とっても興味持って色々手伝ってくれたので、サンホセから持って来ていた不安は次第にどこかに行ってしまいました。斎藤さんたちもモルフォに来てからの方が見るからに、手応えを感じてくれている様子で一安心。モルフォに救われるような思いでした。



翌18日も午前中いっぱい使えたので、実践のつづきと最後の纏め。ウリセスは持ち込んだハンダでジョバンニの車椅子のコントローラーを修理しながら宇田川さんにこれでいいか確認。技術者同士いい写真です。

ウリセスがとくに興味を持ってその後もちょくちょく事務所を訪れてくれています。これは後日談ですが、カルロスの車椅子がバッテリーがすぐに切れてしまうという異常があり、昨日完全に動かなくなってしまいました。日本の宇田川さんと連絡を取りながら、ウリセスにも出動要請。昨日午後分解しているとついに、ヒューズを繋いでいるケーブルが焼け焦げているのを発見。そこを修理して繋ぎ直すと無事元通り充電できて動くようになりました。コスタリカ第一号の車椅子技師の誕生ですね。




















サンホセへの帰路。虹がとってもきれいでした。




2016年3月7日月曜日

さいとう工房コスタリカ車椅子視察(1)


さて、かなりご無沙汰しておりますが、みなさまお元気だったでしょうか?
ぼくは先月2月13日に日本を発ち、またコスタリカに来て働いています。今回は、約一月だけの滞在なのですが、この間におおざっぱに3つ仕事があります。

1)東京のさいとう工房の斎藤さん宇田川さんが訪問されコスタリカでの車椅子分野での支援の可能性を探る調査をする。2)メインストリーム協会から廉田・沖田・中尾・柳瀬が訪問、年度末好例のこの一年の報告と来年度の予算づくり、さらにプロジェクトが終わった後のことなど話し合い。3)年度末の領収書を整理し纏め日本に持って帰る。

すでにこの1)と2)は終了して3)の領収書の整理と年度末の報告書のためのデータ集めの真っ最中なのですが、少し遡って斎藤さんの視察から振り返って記録しておこうと思います。

身体障害者で車椅子のお世話になっている人なら誰でも、ちゃんと時期が来たら車椅子が手に入り、壊れたら修理ができる環境があることを望んでいると思いますが、先進国以外でなかなかこうした環境が整っている国はなく、コスタリカも例外ではありません。

昨年こうした中、サンホセのIngegraという、コスタリカ製の電動車椅子の製造を目指すグループからモルフォのにコンタクトがあり、何か一緒にできることはないかということになりました。これが今回の斎藤さんと宇田川さんのコスタリカ訪問の最初のきっかけでした。

ウェンディがとくにこの分野に関心が高く、彼女を中心にJICAコスタリカとも連携を取りながら、どんなことができるか探って来たのですが、取り急ぎJICAコスタリカの今年度の予算を使って日本から専門家を呼んで調査ができるということになり、急遽昨年後半から準備が始まりました。

車椅子の専門家というならそれこそ数多くいると思われますが、障害者の生活をよく理解し、自立生活運動とも関わりの深いとなるとさいとう工房の斎藤さんしかいないということでお願いすることになりました。お忙しく最初予定がなかなか合わずひょっとして来年度回しかな?っと諦めかけていたところなんとか実現しました。


斎藤さんたちとは成田で慌ただしく合流してそのまま経由地のヒューストンまで。いつもの便に乗りかえてサンホセに着いたのは夜の11時前でした。翌朝10時から上の写真のように宿泊しているホテルのホールを借りてIntegraのメンバーとミーティング。彼らのやりたいことやっていることを確認。それに対するアドバイスなどを斎藤さんたちから伺いながら進めていきました。

お昼になりお腹も減ってきたので、午後の予定を確認したところ、Integraのメンバーの一人から「ミーティングは午前中だけだと思ってた」という言葉が。あれ?予定表はちゃんんと渡してあるし、東京から専門家がわざわざ来ているのにもう帰るの?ちょっとわけがわからないまま軽食を買いに行く短いブレークを入れて帰ってくると4時くらいまでいけるということになっていましたが、「あれ?」という疑問符は消えず。
(ちなみにではありますが、このホールは2008年6月廉田さんが初めてサンホセで自立生活運動について語った記念すべき場所です)

介助者と子供たちは会議が長いのでぐったりぎみ




















気を取り直して翌日15日は、Integraの人たちが工房として使っている場所や部品の調達先などを視察。まずエレディアにあるカルロスさん宅の工房へ行きました。


この視察に同行しているウェンディとエリエセルと途中で合流してカルロスさん宅へ庭の片隅に設置してある工房を見せてもらいました。工房にはモルフォから送られて来た修理依頼の車椅子が置いてあり、テスターを使ってどこに異常があるのかを調べたりしていました。


その後カルロス宅近くの車椅子の前輪を扱っている会社へ。さらにサンホセ市内にある車椅子を扱う福祉機器店を視察。



上はロカテルという福祉機器店の店頭ですが、斎藤さんと宇田川さん車椅子を上から下から中まで色んな角度でじっくり観察まるで店先で車椅子を分解してしまいそうな勢いでした笑。この後さらにセントロに近いメロディアとチュピスという店を視察。サンホセで車椅子を扱っているのはほぼこの3店ということでした。

この日はカルロスさん以外Integraの人の同行はなく、カルロスさんは工業デザイナーなので車椅子の技術的な質問はわからないこともありました。斎藤さんたちと同行してわずか1日と少しでしたが、お二人がほんとに車椅子が好きでどんなことでも知りたいんだなということが側にいてよくわかりました。それに比べると、Integraの人たちは想像していたのとはちょっと違ってあまり食いつかないというか、せっかく東京からこんな技術を持った人たちが来ているのにもったいなくないのかな〜?という印象でした。17日にペレスで予定していたセミナーにはカルロスさんのみ来るということでしたが、最終的にそれもドタキャンされ、コスタリカ側には専門的な知識を持った人がおらずこの先大丈夫かなとちょっと不安になったコスタリカ到着とサンホセ視察でした。